【トルコの助け合い文化】生活苦の人を救う「サダカの石」

 

困っている人や苦しんでいる人がいたら、助け合いの精神が発揮されることは世界中であるけど、その方法は国や文化によって違う。

いま新型コロナウイルスの感染が止まらず、お金や食べ物が思うように手に入らず苦しい思いをしている人が世界各国にいる。

ではここでクエスチョン。

客足の途絶えた飲食店を支えるために「食べて応援!」というのは日本でよくあるけど、生活苦におちいっている人を支援するにはどんな方法があるでしょう?

 

 

 

トルコには、日本にはないこんな助け合いの文化がある。
金銭的に余裕のある人が「サダカの石」と呼ばれる石柱の上にお金を置いて、貧しい人がそのお金を持っていくという風習があって、新型コロナの危機がきっかけとなり、形を変えてその文化が復活しつつあるという。

 

 

街の路上にこんな石柱があって、お金や気持ちのある人が上のくぼみにコイン(紙幣も?)を置いて立ち去る。そして見知らぬ人がそれを手にして、自由に使うことができる。
通常は手をのばさないと届かない高さにあってで、誰がお金を置いたか、またはもらっていくのか分からないようになっている。
だからすべてを知るのは神さまだけ。

 

サダカとはアラビア語で、困窮者に善意でモノやお金をわたす「喜捨」をイスラーム教の世界でこう呼ぶ。
ボランティアではなくて、イスラーム教徒の義務として喜捨する場合はザカート(救貧税)といってサダカと区別されるけど、ザカートも個人の意思にまかされることが増えてきたから、近年ではサダカとの違いがあいまいになっているらしい。

 

 

タイなどで見られるお坊さんに食べ物をわたす喜捨は、ザカートではなくてサダカのほう。
日本でもこういう喜捨ならあるけど、「サダカの石」のような文化は聞いたことがない。

ドイツには似たようなシステムがあって、読み終えた本を街中の電話ボックスみたいな箱に入れて、誰でも自由に持っていくことができる。

ドイツ人が感じた日本の街や人:無人販売所・盗み・創造力

 

 

イスラーム教の信者がサダカ(喜捨)をすることについては、クルアーン(コーラン)に「サダカは貧者、困窮者、サダカを管理している者、改宗者、布教活動従事者、旅人、身代金や負債の救済のためのもの」とアッラーが定めたという記述がある。

 

トルコでこの助け合いの風習がいつ生まれたかは定かではないけど(あ、言っちゃった)、「サダカの石」は500年以上前に登場して、一時期はイスタンブルに160ほどあったという。

 

 

あるトルコ人食料品や生活雑貨品などを置いて、生活に困っている人たちが好きなものを持っていくようにすると国の内外から注目や共感をよんだ。

 

 

いまトルコに「サダカの石」はほとんど残っていないけど、この助け合いの精神はトルコ人の心から消えることはなかったから、上のような「現代版サダカ」として復活したってわけだ。

誰がお金を置いて取ったか分からないという「サダカの石」の匿名性には意味があって、豊かな人間がごう慢にならないようにし、貧しい人にはその尊厳を守るというイスラム教の教えが根底にあるらしい。

日本にこんな石柱はないけど、そんな平等精神ならある。
明治の日本にやって来たイギリス人・チェンバレンは江戸時代の日本についてこう言った。

「金持ちは高ぶらず、貧乏人は卑下しない。・・ほんものの平等精神、われわれはみな同じ人間だと心底から信じる心が、社会の隅々まで浸透しているのである」

ちなみにこのチェンバレンは「君が代」を英語訳にしたことでも知られている。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。