2か月ほど前、アフリカ人(タンザニア人)とアラブ人(モロッコ人)とご飯を食べに行ったとき、日本で不思議に思ったことをたずねると、モロッコ人がこんなことを言う。
「神道と仏教の違いが分からない。神社もお寺も同じに見えるし、日本人にきいて、鳥居があれば神社ということは分かった。でも、日本人の友人も両方を同じような宗教としてみている」
仏教は古代インドでシャカがはじめて、東南アジアや東アジアに広がっていった世界的な宗教で、神道は日本にしかない宗教。という理屈ならネットや本で読んで2人とも知っていたけど、日本で生活していると両者の区別がつかない。
仏教と神道の違いが分からん。同じに見えてしまう。
このアフリカ人とアラブ人だけではなくて、そんなことを言う外国人は非常に多し。
今回は神道メインの話なので、ここでは高校日本史の視点で確認しておこう。
神道
日本の民族宗教。
自然信仰に発し、8世紀頃までは氏神の祭祀を中心に展開したが、律令国家で神社を中心に再編成され、平安時代に神祇制度が整った。「日本史用語集 (山川出版)」
石や木、山といったモノに神が宿るという自然信仰の考え方は仏教にはなく、これは神道での考え方だ。
そして仏教はインド~中国~朝鮮半島を通って伝わった外来宗教であること対して、神道は日本生まれ日本育ちの民族宗教。
こんな感じに仏教と神道はまったく別の宗教なのに、日本で生活している外国人には違いがよくみえない。
その理由は長い日本の歴史のなかで、両宗教がごっちゃになったから。
神と仏を同じものとして信仰する日本独特の現象を「神仏習合」という。
古代の王権が、天皇を天津神の子孫とする神話のイデオロギーと、東大寺大仏に象徴されるような仏教による鎮護国家の思想とをともに採用したことなどから、奈良時代以降、神仏関係は次第に緊密化し、平安時代には神前読経、神宮寺が広まった。
神道の神さまにお経を聞かせるというのは、本来ならありえないことだけど日本じゃこれが普通。
そしてこういう状態が1000年以上もつづいて、日本人の宗教心を形成していった。
自然信仰や民族宗教のほかに、神道では「穢(けが)れを払う」ということが最重要視されている点が仏教とは違う。
人は日々生活していると、自然と穢れや罪がついてしまう。
そしてこれが病気や事故といったいろいろな厄災の原因となる。
それで年に2回、6月と12月の最終日が近くなると、日本全国の神社にこんな茅(ち)の輪が現れる。
茅の輪をくぐることで半年分の罪や穢れを祓い落して、心と体を清浄な状態にすることができる。
この神道行事を「大祓」(おおはらえ)といい、これは仏教では行われない。
まぁ例外的にこれをするお寺もあるのだけど、それは神仏習合の結果で、仏教では基本的に「穢れを払う」という考え方はない。
それよりも善行を積むことで、より良い来世に行くことが大事になる。
この大祓は毎年、夏と冬の2回開催されていて、いまでは日本文化のひとつとなっている。
それ以外にも疫病が発生したときなどに行われることもあり、ことしは新型コロナが流行したことで大祓を行う神社もあった。
くわしいことは神社本庁のホームページを見てくれ。
この行事は、記紀神話に見られる伊弉諾尊の禊祓を起源とし、宮中においても、古くから大祓がおこなわれてきました。
きょう12月31日はこの大祓が行われる日。
「年越の祓」とも呼ばれるこの儀式を行うと、穢れや罪を払って心身を清めて気持ちよく新年を迎えることができる。
仏教にこんな考え方や行事はないけれど、108の煩悩を払う「除夜の鐘」はこれに近い。
ということでボクが外国人から神道と仏教の違いについて質問されると、自然信仰と民族宗教、それと「穢れを払う」という神道の特徴を説明して、その具体例として「大祓」の儀式を紹介するパターンが多い。
それでダメなら、頭をかいてごまかすさ。とヤンウェンリーのまねをするしかない。
外国人と初詣に行くと、日本の宗教について質問されるかもしれないから、そのときは今回の話を参考にしてください。
ところで初詣は神道のイベントか、それとも仏教か?
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