日本に住んでいるインド人夫婦に招待されて、ほかのインド人と一緒に夕食をごちそうになった。
食事のまえにチャイを飲みながら話をしていると、「日本の学校では体罰はありますか?」という質問をうける。
そのインド人にはきょねん日本の小学校に入学した子供がいて、いまの担任の先生は良い人で本人も楽しそうなんだが、他のインド人の話を聞いたりネットを見ると、日本の学校がとても恐ろしいところに感じることがあるという。
先生が体罰をして生徒が大けがをした、いじめをうけて自殺する子どもがいるといった話を知ると、わが子のまわりは日本人ばかりだからよけい不安になる。
30年以上前なら、昭和の時代なら「日常茶飯事」というほどあった体罰もいまではNG。
ただ、禁止されたら消滅するほど単純な問題ではなく、生徒をぶったたく先生や指導者はまだいてそれがときどきニュースになる。
でもまぁ、そんなに気にすることはない。
先のことは分からないけど、迷わず行けよ、行けばわかるさ。
とそんな話をしたわけだ。
体罰については、時代をさらにさかのぼって太平洋戦争の前の日本になると、このころの先生の立場は弱くてあまりビシバシできなかったようだ。
戦前は教師が体罰を行うと、父兄は学校に怒鳴り込み、生徒も徒党を組んで抗議するほどで、警察が出て傷害罪で教師を取り調べすることもあった。
チャイ(ミルクティー)とスナックがあれば、インド人は何時間でも話ができる。
外国人がイメージする日本について話を聞くと、「そんな日本は一体どこにある」と思うことがときどきある。
みんなが思わず注目するのは非日常的なことが多いから、特にネットではアクセス稼ぎのために日本の過激な出来事なピックアップされた結果、日本にある一部分がひとり歩きして「全体像」になってしまう。
たとえば知人のドイツ人にはこんな経験がある。
日本に興味があった彼はドイツで日本を紹介するユーチューブ番組を見ていると、この島国ではスイカは四角い形をしていて、ひとつ150ユーロ(約2万円)もすると知って驚がくした。
でも日本に来てみたら、形は丸いし値段もドイツのスイカに近くて「ダマサレタ」と思ったという。
「事実だけど、それは数%の例外的な事象」のみを伝えるから、見た人にはそれが「日本の普通」になってしまう。
そして、その外国人は日本に来るまで誤解に気づかない。下手したら、日本の地を踏んでも分からない。
前にネットで、「日本の社会では、女性は性的対象や二等市民とみなされている。だから電車の中は痴漢だらけだ」というアメリカ人の書き込みを見て絶句したことがある。
たしかに四角いスイカや痴漢が存在するといっても、「それが日本」ではない。痴漢については時間帯や路線によっても事情は変わるが、2万円のスイカを日常的に食べる日本人なんてマンガの世界の話だ。
日本の学校で、ケガに至る体罰や死につながるいじめがあるのは事実。
だとしても、そんな不幸が現実に起こる人は例外中の例外だ。
それに近い体罰やいじめも少数で、学校時代を振り返ると「全体的には楽しかった」という人が圧倒的に多いだろう。
でも、一部が全部になった、かたよった日本のイメージは世界中で流布しているし、同じ現象はきっと日本でもある。
残念ながらいまでも日本の学校にいじめはあるし、体罰は、かなり少なくなったと思うけどなくなってはいない。
そんな話をすると、「やっぱりそういう先生がいるんですね」と先ほどのインド人は不安そう。
その一方、子どもがいなくて日本の学校教育とは無縁のインド人は、いじめがあるのは知っていたけど、日本の学校で子供の人権はとても尊重されているから、体罰なんてないと思っていたと意外そうに言う。
これもどこかで聞きかじった情報を「全体」と錯覚した結果でしょ。
時代が変われば、常識も社会も変わるという事情はインドでも変わらない。
体罰についてはインドの学校も同じで、それを当然としていた空気もいまは徐々になくなっているらしい。
でも、そのやり方には『文化』の違いが表れていて、日本ではビンタをする教師が多かったけど、インドでは細い木の棒で生徒をたたいていたという。
だから小学校の教室にあった竹の棒が、子供たちへの無言の圧力となっていた。
ところで、固い木の棒でたたいて“言い聞かす”やり方は、植民地時代にイギリス人がインド人に対して行っていたものだ。この体罰もその影響ではないか?
というイメージもまた、一部ですべてを判断した結果か。
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