きょう4月16日は「ボーイズビーアンビシャスデー」。
札幌農学校(いまの北海道大学農学部)で日本人に、米国式の農業ってやつを教え込んだアメリカの教育者クラークが1877年のこの日、「Boys,be ambitious(少年よ、大志を抱け)」という言葉を残して華麗に北海道を去った。
華麗?
カレイといえば、日本にカレーを広めたのはこのクラークだという説がある。
いまのカレーではド定番の具材、ジャガイモ・ニンジン・タマネギは明治はじめの日本にはまだ珍しい「西洋野菜」だった。
開拓地の北海道を中心に、この野菜の生産が各地へ広がっていったのだ。
このときクラークが学校でカレーを強力に推していたことが、カレー普及に貢献したという話がアリ。
クラークの命令もあったのかどうかは不明とされる。ただし、1881年の寮食は、パンと肉、ライスカレーが隔日で提供されていたことは確認されている。
ということで今回は、日本のカレーのはじまりと普及について。
クラークの像
「カレー」の語源は南インドのタミル語のカリ(kari:スープの具の意味)や、カリル(karil:スパイスで味付けされた野菜や肉の炒め物)と言われている。
この食べ物が日本へ本格的に伝わったのは明治時代。
カレーライスの作り方が書いてある日本初のレシピ本は、1872年(明治5年)に出版された『西洋料理指南』で、食材にネギ・バター・エビ・カキ・鶏・アカガエル・小麦粉・カレー粉が挙げられている。
また同じ年に出版された『西洋料理通』には、カレーの食材として牛肉・鶏肉・ネギ・リンゴ・小麦粉・ユズ・カレー粉が書かれている。
共通しているのはカレー粉。
これを開発して日本人に伝えたのはイギリス人だ。
当時、植民地支配していたインドにあったカレーをイギリスでも再現しようとしたけど、スパイスの達人であるインド人のように、多種多様な香辛料を絶妙に組み合わせることはイギリス人にはむずかしかった。
そこでイギリスのC&B社がスパイスをあらかじめ調合したものを「カレー粉」として発売し、これが英国人の心をつかんでカレーはイギリスで広く知られる料理となる。
日本に紹介されたカレーはそのイギリス式カレーだったから、インドカレーとは、スタートからして根本的に別もの。
1870年代にカレーは日本で普及していき、いまでは各地にご当地カレーが登場するなど独自の進化をとげて、全国民に愛される日本料理となった。
ジャパニーズ・カレー
各種スパイスを混ぜ合わせてカレーを作るインド人にとって、カレー粉とかいう便利でお手軽な粉は邪道。たぶん。
あえて言うなら上の「ガラムマサラ」がカレー粉に近い。
イギリスから西洋料理として伝わって、日本では軍隊食となったカレーライスは、インドカレーとはまったく別もの。
それで昭和初期に来日したインド人、ラース・ビハーリー・ボースが不満を持ち、彼が本格的なインドカレーを日本へ伝えた。
ボースはかねがね「インドのカレーはあんなものではない」と憤慨していたが、中村屋が1927年に喫茶部を新設する際、相馬夫妻に本格的なインドカレーを出すよう強く進言し
カレーの伝道師となったボースは「be ambitious」な人でもある。
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