2日まえの4月16日は静岡県民にとって画期的なことがあった日。
1889(明治22)年のこの日、いまのJR東海道本線の静岡~浜松間が開業したのだ。
静岡県の『飛車・角』、『マナ・カナ』みたいな2大都市が鉄道でつながったことは、静岡県民には歴史的な出来事。
それと同時に、これによって関東と関西の輸送路も完成した。
新橋(東京)を出た列車は長浜(滋賀)まで行って、長浜~大津間は琵琶湖を船で移動し、大津~神戸駅は列車の乗って行く。
静岡と浜松が結ばれたことで、東京から神戸まで人と物の移動が可能になったのだから、これは日本全体にとって画期的だ。
くわしいことをここをクリック。
さてその36年まえにアジアで歴史が動く。
1853年の4月16日 、インドのムンバイとターネーを結ぶ(約34km)、アジア初の鉄道が開業したのだ。
ただアジアで最も古いこの鉄道、ムンバイ近郊鉄道を開通させたのはインド人ではなくて、植民地支配していたイギリス人。
ことし2月、カレー料理店で知り合ったインド人がムンバイ出身で、彼から「ムンバイ鉄道は本当にひどい!あの混雑っぷりは世界一で、駅は毎朝カオスだよ」という話を聞いた。
マジで?と思ったらどうやらホント。
1日約694万人の利用者を有し、インド国鉄全体の1日の旅客の過半数を占める。世界の都市鉄道の中で、最も高い輸送密度を持つものの1つである。
最も混雑する時間帯には、9両編成(定員1,700人)の電車に5,000人以上が乗車するという。
1平方メートル当たり14~16人で乗車率が約300%となると、混雑がひどすぎて「酷鉄」と言われた日本の国鉄をも軽く超えるはず。
ではムンバイの朝の風景を見てみよう。
バッグを背負わないで前に抱えるのは常識。
ムンバイに限らずインドの鉄道では、できるだけ多くの乗客を乗せるためにドアは「開けっ放し」が普通らしい。
「ドア?そんなものを付けてもすぐに壊れるから意味がない」というムンバイ出身のインド人の言葉も、動画を見ると納得だ。
彼の話で驚いたのは、人がよく死ぬこと。
ドアにしがみついていた乗客や電車の上に乗っていた人が転落して、走行中に死亡することはよくあるという。
他に線路を横断する人がはねられるケースもあり。
10年ほどまえのAFPの記事によると、毎日10人以上がこの世を去っている。(2008年6月27日)
通学列車に乗るたびに無事大学までたどり着けることを祈る。彼女が乗るムンバイの鉄道は、1日平均12人が命を落とす、世界で最も混み合った、そして最も危険な鉄道なのだ。
混雑で1日平均12人が死亡、ムンバイの通勤列車
ちなみにニューヨーク地下鉄の年間平均死者数は8人だ。
走行中の電車から乗客が1人でも転落死したら、日本ならその日の全国ニュースになるのは不可避。
ムンバイだけでこれなら、インドの鉄道全体では1日にいったい何人が通勤・通学の途中で死亡しているのか。
浜松から東京へ引っ越した知人のアメリカ人が「ラッシュ時の電車の混み具合は考えられない!」と悲鳴を上げていたが、ムンバイ転勤になったら東京は準備運動だったことに気付くはず。
明治時代の列車開通時、日本でもよく転落事故があったのだろうか。
もはや「悪夢」。
こちらの記事もどうですか?
コメントを残す