なんだかんだ言っても、中国人の爆買いはやっぱりすっごかった。
それが消え去ってしまったいま、日本の百貨店はとても厳しい状況に置かれているということを前回書いたのですよ。
経営が難しくなって、それまで百貨店にはなかったユニクロや100円ショップなどをテナントとして入れるようになっている。
でもそうなると、「手の届く高級」といった百貨店のブランドイメージが低下してしまい、ショッピングモールと変わらなくなってしまう。
「中国人を見て商売をしていたんでしょ?日本人の客が来なくなっても自業自得デス」という厳しい声もあるのだが。
でも、このまま日本の百貨店が衰退してしまうのは残念至極。
歴史的に、百貨店がしてきた日本への貢献はとても大きいのだ。
日本で百貨店といえば、なんつっても三越百貨店が頭に思い浮かぶ。
この三越百貨店の歴史は江戸時代の1673年に、三井高利(たかとし)が呉服店「越後呉服屋」を開いたことからはじまる
この越後屋は「現金掛け値なし」という画期的な売り方をしたことでめっちゃ繁盛して、明治時代になると分立し、いまの三越百貨店につながった。
「掛け値」というのは、物を売るときに実際より高い値段をつけることや、その値段のこと。
だから客は店員と値段交渉をして、商品を買うのが当時のアタリマエ。
「掛け値」とは現代の感覚で、悪い言い方をしたら「ぼったくり価格」だから、値引きには応じないけど、掛け値無しで最初から安い値段で売るという、この越後屋の売り方は画期的で人気を集めた。
ちなみに江戸時代のようなビジネスは、いまでも東南アジアや中東でよくある。
店員が掛け値(ぼったくり価格)を言ってきて、客が交渉して値段を下げさせて「この金額ならいいや」と思った金額で買う。
こうした値段交渉での買い物と、同じやり方が江戸時代に行われていたのだ。
でも越後屋はその掛け値を無くして、定価(適正価格)で商品を売り出すことにして大成功。
21世紀の日本では常識になっている「定価で物を売る」という定価制を始めたのは、じつは越後屋が世界で初めて。
当時、値切られることを考慮して客に最初に提示する値段を実際の売値より高く提示し、客によって値段を上げ下げするのが慣習だった(中略)「正札付き現銀掛値なし」として定価販売を世界で初めて実現した。
現代の三越のキャッチフレーズは「This is Japan」。
この「This」が何を意味しているかよく分からないけど、「世界で初めてぼったくり商法をやめた」という正直さのことなら本当に日本らしい。
次回、越後屋が始めたもう一つの画期的な商法、「切売り」について書いていきます。
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