江戸時代に、日本の数学『和算』が世界最高水準に達したワケ

 

エドジダイとかいう長くて平和な時代はアメリカの軍艦の到来によって終わりを告げ、明治時代になった新日本は、欧米列強をモデルにして軍隊を整備し国を近代化していく。
海軍はイギリス、陸軍はドイツに学び、法律についてはフランスやドイツのものを参考にして国づくりを進めていき、国民の食事や服装なども洋風化していき、当時は日本の上から下まで先進国だった欧米の影響を強く受けた。
でも、日本のほうが進んでいた分野もあると、評論家の山本七平氏は言う。

明治以前に科学の分野で日本の方が西欧より一歩先んじていたものがあるとすれば、それは数学であろう。

「日本人とは何か。(下巻)神話の世界から近代まで、その行動原理を探る (PHP文庫) 山本 七平」

 

イグザクトリー。
江戸時代のあいだに日本人が発達させた「和算」のほうが同等かレベルが高かったため、数学については欧米諸国から学ぶ必要がなかったという。

さてきのう8月8日は「パチパチ」ということで「そろばんの日」だった。
中国から伝わったこの便利な計算道具「そろばん」は、「算盤」の中国語読み「スワンパン」が語源といわれ、15世紀ごろには日本人が使っていたという。
これを民衆に広めたのは豊臣秀吉に仕えた毛利重能(もうり しげよし)だ。
中国(明)に留学して算術を学び、帰国後は京都で塾を開いて人々にそろばんを教えたことから、この道具が世の中に広まっていく。
江戸時代の庶民が学んでいた全国の寺子屋では「読み書きそろばん」を中心に教えられていたから、そろばんが日本人の計算能力の発展にめっちゃ貢献したのは間違いない。

毛利重能は和算を築いた吉田光由(みつよし)や高原吉種などの師匠だったから、日本の数学(和算)は毛利から始まったと言っていい。
高杉晋作、伊藤博文、桂小五郎などの明治維新の志士を育てた吉田松陰のような人ですね。

高原吉種の弟子といわれるのがあの天才・関 孝和(せき たかかず:1708年没)で、和算が中国の算術を超え世界レベルに達したのは彼の功績が大きい。

点竄術(てんざんじゅつ)すなわち筆算による代数の計算法を発明して、和算が高等数学として発展するための基礎を作った。 世界で最も早い時期に終結式を用いた変数消去の一般論を見出した。

関孝和

 

日本にそろばんを広めた毛利重能から、日本の数学(和算)の歴史が始まったも同然。
和算が飛躍的に発達した大きな理由に、「遺題継承」という日本人ならでは発想があって、これを始めたのが先ほどの吉田光由という和算家だ。

17世紀に吉田光由が、自分では解くことのできなかったいくつかの問題を塵劫記(じんこうき)という和算書に記し、これを「遺題」として解決を次の時代の日本人へ託した。
「実力ありと思うものは、これを解いてみよ」と吉田は挑発的な文を書く。

これが始まりとなって、次代の日本人が先代の遺題を解いて、今度はその人が自分の遺題を後世に伝える日本独自の数学文化がうまれた。
これを遺題継承(いだいけいしょう)という。

後の学者に対する出題を当時は「好み」「遺題」と呼び、遺題を解こうとする学者が研究してその答えを自分の著書に載せる。その後は自分も新たな問題を作成し、自身の著書に掲載して後世に受け継がれていった。

遺題継承

 

自分が解けなかった数学の問題を「オレはここまで。あとはまかせた!」と後世の日本人にまかせて、それを解いた人が今度は別の問題を「あとはまかせたぞおまいら!」と託(たく)す遺題継承が数百年もつづいていく。
その結果、極東の島国の中で和算(数学)のレベルがどんどん上がっていき、開国して欧米の数学を知ったときには「あんま大したことないな」と学ぶ必要がなかった。(ゼロだったかは知らない)
「問題解いて300年、知らないうちにレベルMAXになってました」みたいなオチ。

 

記念切手に描かれた関孝和

 

 

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10 件のコメント

  • > 明治以前に科学の分野で日本の方が西欧より一歩先んじていたものがあるとすれば、それは数学であろう。
    > 「日本人とは何か。(下巻)神話の世界から近代まで、その行動原理を探る (PHP文庫) 山本 七平」

    うーん、山本七平が、民俗学・文化人類学の分野で多大な業績を残した思想家であることは認めます。
    がしかし、その彼にしても、さすがに数学全体を俯瞰し評価できるだけの素養・知見は有していなかったと考えます。ハッキリ言って、ちゃんとした理数系の教育を受けていない文化系学者が言及できる領域ではありません。私でも反論可能なレベルですよ。
    単なる「自字民族文化優位主義」から発せられた「無知ゆえの傲慢さ」としか思えないですね。
    上記のことを正確に表現すれば、「和算と称される江戸時代の日本国内数学の中には、部門によっては、当時の西欧数学の最先端にほぼ同等の領域に到達していたような成果もいくつか見られた」というところでしょう。

    ただし、和算が、「部門によっては」西欧数学の最先端レベルの成果を得るに至った理由は、おそらく、
    > 後の学者に対する出題を当時は「好み」「遺題」と呼び、遺題を解こうとする学者が研究してその答えを自分の著書に載せる。その後は自分も新たな問題を作成し、自身の著書に掲載して後世に受け継がれていった。(遺題継承)
    という学問形式にあったのは間違いないでしょうね。

    このようなコミュニケーションのあり方は、基本的には、現代の諸学会が(雑誌への論文投稿などにより)採用している学術深化の方法と同じなんです。
    当時(江戸時代)の西欧では、手紙のやり取りから始まって、キリスト教会から独立した「学会(アカデミー)」が学者自身の組織として成立し始めた時期です。その延長に、ガウス、オイラー、ニュートン、ライプニッツ、ハミルトン、デカルト、その他あまたの偉大な数学者たちの事跡があるのです。

  • いわゆる鎖国をしていた江戸時代、日本は医学や天文学、化学などを蘭学や中国から学んでいました。
    でも数学は別で、日本のほうがすすんでいたので、和算は蘭学や中国学と独立していました。
    開国してから、欧米に数学について学んだという記述をわたしは見たことがありません。
    ゼロではないとしても、全体的に数学では日本のほうが上でしょう。

  • > 開国してから、欧米に数学について学んだという記述をわたしは見たことがありません。

    それはですね、残念ながら、「欧米の数学について学ぶことに、優れた人材が割り当てられなかった」という実情を示しているにすぎません。19世紀の後半、明治政府が必死になって欧米から導入したのは、科学と工学技術・軍事技術であり、「数学」のような純然たる「理論的抽象的学問」について学ぶだけの余裕は、とてもなかったのです。
    しかしながら、その時代に欧米の科学と技術を基盤で支えていたのは、実は「数学」です。このことは今も昔も同じです。つまり、明治の先人たちは欧米の数学について真正面から学ぶのではなく、その応用である科学と技術を学ぶことにより、間接的に、その基盤となっている数学をも学び取っていたのです。

    和算は、その扱っていた範囲においては西欧数学の最先端に同等レベルにまで達していた分野もありました。しかしながら、欧米数学の方が扱っている分野は圧倒的に広く、方法は緻密でした。しかも代数学、幾何学、解析学(含む微分積分)のような古典的数学範囲においては、既に、科学や工学技術への応用も確立されつつありました。このような「応用」に全く価値を見い出さなかったことこそが、和算の弱点と限界を示すものです。つまり和算は「他の自然科学とはかけ離れて、あくまで数学者たちの興味本位だけで成立していた趣味的学問分野」に留まっていたのです。
    和算と欧米数学との両者は、とても「全体レベル」で比較できるようなものではありません。それは大学入試の問題解答集と数学会全体の体系とを比較するようなものです。

  • >「理論的抽象的学問」について学ぶだけの余裕は、とてもなかったのです。
    これはなにで確認できるでしょうか?

    >その時代に欧米の科学と技術を基盤で支えていたのは、実は「数学」です。
    この根拠はなんでしょうか?

    >欧米数学の方が扱っている分野は圧倒的に広く、方法は緻密でした。
    この根拠はなんでしょうか?

    >しかも代数学、幾何学、解析学(含む微分積分)のような古典的数学範囲においては、既に、科学や工学技術への応用も確立されつつありました。
    代数学、幾何学、解析学(含む微分積分)は和算にはなかった内容でしょうか?

    >大学入試の問題解答集と数学会全体の体系とを比較するようなものです。
    和算をこう表現する根拠はなんでしょうか?

  • うーん、残念ですけど、ブログ主さんも山本七平と同様です。少なくとも現代高校数学及び大学初年度の数学範囲程度をマスターした上でないと、自分の発している質問が的外れであることが理解できないだろうと思います。
    当時の西欧数学と和算とで内容の充実度をひとつだけ比較しておくならば、解析学の分野において、和算には極限や積分法についてかなりの成果を得ていたのですが、微分法が存在せず、したがって微分と積分を記号で組み合わせた演算である「微分方程式」が存在しませんでした。この「微分方程式」こそが、19世紀から20世紀にかけて数学をあまたの科学(主に物理学)へ応用する上での要となった考え方であり、これなくして現代の科学・工学は存在していません。

  • 客観的な根拠がないと個人的な感想になります。
    もちろんその人にとってはそれが正解で、問題はありません。

  • コメントに客観的な根拠を求めるなら、自分の投稿にも客観的な根拠を示さないと話が噛み合わないですよね。

  • そうですねぇ。山本七平がいかに偉大な思想家であろうと、またブログ主さんが日本及び東洋史をはじめ世界史に関する知見が豊かであるとしても。ご両人とも、数学についての基礎的素養(代数学、幾何学、解析学、微積分学、数学基礎論、確率論その他現代数学、デジタル数学)についての発言・論文・著作が皆無であるというのが客観的な証拠です。それでは、和算並びに当時の西洋数学に関して、両者の全体レベルを客観的に比較・評価できるだけの能力があるとは、ちょっと考えられないですね。
    残念ながら、そこは文系出身者と、理数系の専門教育を受けてある程度習得した者との間で、決定的なギャップがあります。
    ちなみに私は学者ではありません。建設業に携わる技術者です。なお数学及び現代サイエンスは趣味として勉強を今でも続けています。

  • これが根拠になっていると思うのなら、それでいいと思います。
    思想家であれノーベル賞受賞者であれ、ネットで権威を否定することは簡単ですが、特に意味はありません。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。