はじめの一言
「日本人は私がこれまで会った中で、もっとも好感のもてる国民で、日本は貧しさや物乞いのまったくない唯一の国です(オリファント 幕末)」
「逝きし日の面影 渡辺 京二」
インドを旅したからといって、人生が変わるほどの変化があったわけではない。
でも、それまでの自分になかった見方や価値観が加わったことはたしか。
平和に対する考え方がそう。
インド旅行をしていたとき、列車の中でインド人の男性から声をかけられた。
「おまえは日本人か。じゃ、明日は何の日か知っているか?」
今日は8月5日。
だから当然明日は8月6日だ。
「日本では原爆の日だよ。その日に広島で原子爆弾が落とされた。インドでも何かあるの?」
「そうだ。ヒロシマで原爆が落とされた日だ。オレはナガサキに落とされた日も知ってるよ。8月9日だ」
よくご存じで。
このときはそれしか思わなかった。
でも、インド人が日本に原爆の日を知っているのは、それなりの理由がある。
インド人だけではなく、世界のだれもが平和を願っている。
どこの国の人間も安全に生活したいと思っているはず。
戦争はそのおだやかな日常を根底から破壊してしまう。
特に第二次世界大戦では核兵器の使用もあって、人類始まって以来の未曾有の大惨事にみまわれた。
その後に発足した国際連合の最大の目的は、第三次世界大戦を防ぐことにある。
国連憲章の最初にこんな文章がある。
われら連合国の人民は、われらの一生のうちに二度までも言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い
国連憲章ではその後に、「善良な隣人として互いに平和に生活し」という言葉が出てくるけど、国連の目的で一番大事なことは第三次世界大戦を防ぐこと。
でもそれは国連だけの仕事ではない。
世界の各国が戦争を防ぎいで平和を保つように努めているはず。
それは日本も同じ。
同じだけど、違う点もある。
日本は世界で唯一の被爆国であること。
日本は核兵器の廃絶を特に強く訴えている。
そんな日本とインドだけが毎年行うことがある。
2014年に岸田外務大臣がインドのモディ首相を表敬訪問した。
その様子が外務省のホームページに載っている。
広島出身である岸田大臣から,モディ首相の広島原爆犠牲者追悼発言に謝意を示すとともに,毎年8月にインド議会で広島と長崎の原爆犠牲者追悼のための黙祷が行われていることに対し,謝意を表明しました。
また、2013年に天皇皇后両陛下がインドをご訪問されたとき、天皇陛下はこんなお言葉を述べられている。
宮内庁のホームページから。
貴国議会が年ごとの8月,我が国の原爆犠牲者に対し追悼の意を表してくださることに対し,国を代表し,とりわけ犠牲者の遺族の心を酌み,心から感謝の意を表します。
国会で議員が原爆の犠牲者のために黙とうをささげている。
こんなことをしているのは、世界で日本とインドだけ。
これを知ったとき、こんなことを思った。
「平和や核兵器については、インドは日本と同じような価値観をもっているのではないか?」
それで何人かのインド人に話を聞いてみた。
すると平和や核兵器についての考え方は、日本と同じだけど同時にまったく違うことも分かった。
インド人の友人がフェイスブックでシェアしていた画像。
この日は8月15日でインドの独立記念日。
「市民の平和な生活を兵士たちが必死で守っている」というもの。
約25万もシェアされていた。
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とても感動しました。
原爆被害投下の日を、共に共有してくれるインドに感謝です。
一般国民をターゲットにした空襲や原爆投下を、世界に容認されることが理解出来ません。
災害時に身を呈して活動される自衛隊に、感謝どころか憲法違反の言葉を投げる日本の現状に疑問を感じます。
ネットを見ると日本ではインドに悪いイメージがあるのですが、こういうこともしてくれています。
でも残念ながら、日本ではほとんど知られていませんね。
カレー、カースト、仏教もいいですけど、原爆被害者への黙とうや日本と一緒に戦ったチャンドラボースのことも日本人に知ってほしいと思います。