世界は国際舞台での「国旗掲揚・国歌斉唱」をどうみてる?

 

1964年に東京五輪が開幕した日、毎日新聞はこう提案した。

「表彰式における国旗と国歌をやめてはどうか」

そもそも国際スポーツ大会としてのオリンピックの原点は、「国家の枠を超えて国際主義を体現」しようとしたことにあるから、その舞台で国旗を掲げること、国歌を歌うことはこの理念とは合わないという。
同じような主張は世界的にもあって、1960年代に開かれたIOC総会でその是非を問う投票を行った。その結果、採択に必要な票数を得ることはできず、この案は否定される。

2021年の東京五輪が始まる直前、毎日新聞がコラム『余禄』にそんなことを書く。(2021/7/24)

「表彰式における国旗と国歌を…

過剰なナショナリズムや五輪への政治介入には反対でも、オリンピックでの国旗掲揚・国歌斉唱はそれに矛盾しないし必要だという国が多かった。
選手にとってもそれは同じだろう。
ドーピング問題で国家代表として東京五輪に参加することを禁止され、個人資格となったロシア選手の場合は、金メダルをとっても国旗の掲揚が認められなかったし、ロシア国歌の代わりに流されたのはチャイコフスキーの曲だった。
選手が表彰台で感じたのは「国家の枠を超えて国際主義」を体現したという誇りではなくて、喪失感や屈辱だったのでは。
水泳競技で銀メダルを獲得したコレスニコフ選手は、「チャイコフスキーの曲が流れ、変な感じがした。国歌を歌いたかった」と語る。この気持ちは世界共通だ。

 

そんな東京五輪が閉幕したすぐあとの8月12日は「君が代記念日」。
1893年のこの日に文部省が訓令を出して、小学校の祝日や大祭日の唱歌に『君が代』などが定められた。
ちなみに日本の国歌とされていた『君が代』が、正式な国歌となったのは1999年に「国旗国歌法」が制定されてから。

国旗掲揚や国歌斉唱は「過剰なナショナリズム」ではなくいまや国際社会の常識で、他国の国旗・国歌に敬意を示すことは国際人にとって必要なマナーでもある。
そんな考え方を象徴する印象的なシーンを紹介しよう。
2019年にフィギュアスケートの国際大会で優勝した羽生結弦選手に、3位となって同じ表彰台に立ったカナダのキーガン選手が粋なはからいをして世界中の感動と共感を集めた。

 

 

言葉がなくても2人はすべてを理解していたし、この動画に説明なんて必要ないはず。
代わりに、これを見た外国人の感想を載せておこう。

・This is the sportsmanship that the world wants!
これこそ世界が求めるスポーツマンシップだ!

・The respect of the Canadian athlete is worth more than any medal!!!!
カナダ選手の敬意はどんなメダルよりも価値がある!!!!

・That, ladies and gentlemen, is true sportsmanship.
みなさん、あれこそが真のスポーツマンシップです。

・Beautiful moment! A First Class gesture befitting First Class sportsmen – Keegan Messing & Yuzuru Hanyu!
美しい瞬間!
キーガン・メッシング選手と羽生結弦選手、一流のスポーツマンにふさわしい一流のジェスチャーです。

・Sports always carries the potential to unite people, cultures, and nations!
スポーツはいつでも人、文化、国を結びつける可能性を秘めている!

・beauty of the sport and amazing sportman❤
スポーツの美しさと素晴らしいスポーツマン。

 

「true sportsmanship」、「First Class gesture」、「Beautiful moment」と海外の人たちが称賛するこのシーンを「過剰なナショナリズム」なんて呼んだら世界の仲間はずれになってしまう。
表彰式での国旗と国歌を廃止するという意見は過激で、それらには人や国を結びつける可能性があるのだから、それに敬意を示すことがいまの世界の常識で国際主義を体現することになる。

 

 

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2 件のコメント

  • 三浦 淳(新潟大学人文学部)
    「外国では受容者=弟子としてペコペコし、逆に国内では輸入品を振りかざして啓蒙家=教師を気どる——これが建国以来、日本の二流知識人が一貫してとってきた行動様式だった。 同じ知識階級でも一流ならこういう莫迦な真似はしない。 日本の欠点は欠点として指摘し、しかし対外的にも言うべきは言う。 考えてみればそれは当然のことだが、この当り前のことが一番難しいのが日本の二流知識人なのである。」

    反捕鯨の病理学 (第1回)
    http://luna.pos.to/whale/jpn_nemo3.html

  • 国旗や国歌に敬意を払わないという生き方が可能であるのも、他国とは海を隔てていたので、侵略したりされたりという歴史的経験に乏しい日本人だからこそなのでしょうね。日本人はとても幸運だった。
    ほとんどの諸外国では、そんな甘い考えでは、国と民族そのものが維持できないのです。
    そういう他国の人々を前にしては、そんなお気楽な主張はとてもできません。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。