「日本の文化は中国とよく似ています。でもやっぱり違うんですね。そこが面白いところです」
日本語学校に通う中国人がそんなことを言っていたから、静岡にあるお寺に連れて行った。
その中国人が境内にあったお堂(上の写真)を見ると、「なんか中国のお寺みたいですね。日本のお寺じゃないみたいです」と言う。
むき出しの石で床ができていて、そこからのびた柱が天上を支えているようすが彼女に母国を連想させた。
畳が敷きつめられた床を見れば、何の疑いもなく日本のお寺だと思うけど、これで日本のお寺と言われても違和感しかないらしい。
別の機会に台湾人を連れて行ってこのお堂の感想を聞いたら、「たしかにこれは中国式ですね」と同じことを言う。
これは中国人や台湾人が見ても完全な日本の寺
歴史的にみると、世界的な先進国で文明国だった隋や唐に日本が学んで、思想や建物建築などイロイロな文化的影響を受けてきた。
それで中国旅行に行ったとき日本語ガイドに日中の文化について意見をきくと、「日本文化は中国文化を独自にアレンジしたところに特徴がありますね」と評価する人もいれば、「日本の文化は中国文化のコピーですよ。日本にあるものは全部中国にあります」と豪語しやがるヤツもいた。
金を払っている客に向かってこれだから、こういう中国人の率直さや配慮のなさは失礼を超えてもはやあこがれる
確かに日本は漢字や仏教などをそのまま受け入れたし、ひな祭りや七夕など中国に由来する日本文化はたくさんある。
でも日本の文化は中国のコピーではなく、ソレとコレとは別ものだと津田 左右吉さんは言う。
津田 左右吉(つだ そうきち:明治6年 – 昭和36年)
戦前の日本を代表する歴史学者で思想史家の津田 左右吉は、日中の文化についてこう指摘した。
日本は、過去においては、文化財として支那の文物を多くとり入れたけれども、決して支那の文化の世界につつみこまれたのではない
「支那思想と日本」
*「支那」は現代では侮辱語になるからNGね。
文化面において日本は中国の一部ではない、ということを証明するには日本独自の文物を挙げればいい。
そのひとつに畳がある。
畳は日本発祥で、いまの中国人も「タタミ」を音訳した「榻榻米」という中国語を使う。
現代の日本では一般的な厚みのある畳の原型は平安時代につくられ、生活のさまざまなルールを定めた延喜式(えんぎしき)で、階級によって使う畳の大きさや縁の色がきめられた。
下の写真は京都御所にある一室。
平安時代には板張りの床の上に、一人の人間が座るところにだけ畳が敷かれていた。
いまのお寺や旅館のように、部屋の床全体に畳を敷きつめるようになったのは室町時代に入ってからで、そのスタイルを「書院造」という。
このころ茶道と正座と一緒に畳敷きの部屋が日本社会に広がっていき、現代の外国人が想像する日本家屋ができあがった。
この畳は日本独自のもので中国にはない。
そんな話をすると、「日本文化は中国のコピー」と言ったガイドは「それは違う。昔の中国にも畳はあって、時代劇にも出てくる」と抵抗する。
じゃあそれを見せてくれと言うと、ガイドが検索して「これです」とスマホの画面を向ける。
でもそこにあったものは「どう見てもゴザかムシロですねありがとうございます」というような、うっすい敷物で日本の畳とはまったくの別もの。
ただ日本で古代は莚(むしろ)や茣蓙(ござ)などの薄い敷物を「畳」と呼んでいたから、その意味ではこれも畳ではある。
でも21世紀の人間が思い浮かべる、イグサから作られる日本の畳とはチートと言えるほど違う。
ちなみにゴザのような持ち運びができ、使わないときはたたんで部屋に置いたことから、動詞の「タタム」が「タタミ」という名詞に変化したといわれる。
だから畳より先に畳みがあったことになる。
ということで日本は中国の文物を多くとり入れたけれど、決して中国文化の世界につつみこまれてはいない。
日本文化は「完コピ」でもない。
石畳の部屋を見れば中国人や台湾人が「中国のお寺みたいですね」と思って、畳の部屋を見れば「日本のお寺ですね」と思うことからもそれは明らかだ。
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