韓国の歴史と現実:14世紀の日本が朝鮮の未来社会だった理由

 

韓国情報のサイト「wowKorea」に韓国の保守論客の寄稿文が載っていて、韓国で事実とされている歴史と事実とのギャップを指摘している。(2021/09/25)

<W寄稿>日本の江戸が樹立した世界記録のいくつか=韓国には余りにも知られていない歴史資料

まず、いまの韓国人のほとんどは日本が鎖国をやめて開国したのが偶然、朝鮮より数十年ほど早かったことで、その後に日本が韓国を支配する運命が決まったと信じているという。
でもそれは思い込みであって事実ではないという韓国の保守論客さんは、15世紀に日本へ派遣された朝鮮人「朴瑞生(パク・ソセン)」の報告書の内容を紹介する。
この時代の朝鮮は日本より進んでいたと信じる韓国人は多いが、当時の朝鮮人の記録によれば、日本はすでに未来社会だった。

 

1、水車の使用

日本ではいたるところにあるけれど、朝鮮にはなかったものが水車。
水車が川の水を汲み上げて田畑へ供給しているのを見て、朴瑞生はわが国もこれを採用するべきだと考え、「日本の水車の姿を描いてきたので、そのまま作って使えば良いだろうと思います」と書く。
でもその後の朝鮮で、水車を作って実用化したという話は聞かない。
絵を描いただけではダメだったみたい。

 

2、貨幣の使用

朝鮮では綿布や穀物などを物々交換するが普通なのに、日本では硬貨を使うことが常識になっている。
だから現金さえあれば、旅行者が食事をしたり宿泊できる施設は街道沿いにあるから、食べ物を持たずに遠くへ行くことができる。
「日本は土地税から通行料にいたるまで、全て硬貨を使用するのが習慣化され、定着」している事実が朴瑞生を驚かせた。
こんなことは当時の朝鮮では不可能で、遠くへ行くときにはトンデモナイ量の荷物を持っていったらしい。

 

3、衛生環境

日本では個人の家に浴室があって町にも銭湯があるから、人々はお金を払って気軽に利用することができる。
それで朝鮮でも医療機関や地方の診療所などに、「浴室を設置し、人々の体も清潔にして、お金を使用する方法も学習できるようにしたら良いでしょう」と朴瑞生は提案する。

 

4、買い物

日本の商店ではそれぞれ看板があり、台の上に商品が並べられていて、客は手に取って確認して買うことができる。
また客の身分に関係なく、誰でも自由に購入することができた。
それに対して朝鮮の市場では、乾いた物と濡れた物をごちゃ混ぜにして置いているし、魚や肉類、野菜などは地面にそのまま置いて売っている。
だから通行人が商品を踏んづけることもある。
日本を見た朴瑞生は、「今後は鍾路から廣橋までにある商店に陳列台を設置して商品名をつけさせる」ようにして、客が簡単に商品を見分けたり、しっかり選んで買えるようにすべきだと書く。

 

14世紀で日本と朝鮮では、すでにこれほど社会発達の差があったのだ。
日本を見て歩いた朴瑞生(パク・ソセン)の感想をひと言でいうなら「未来ずら!」になる。
このあと超平和な江戸時代になると、もう朝鮮にはその背中が見えなくなるほど、日本の経済システムは爆発的に発展し社会はどんどん豊かになっていく。
でもこのへんの歴史の真実は、韓国ではほとんどで知られていない。
まえに読んだ韓国の歴史教科書には、朝鮮通信使が先進的な文化や文明を、まだ未開だった日本へ伝えて大変よろこばれたという記述を見たことがある。
この保守論客はそんな歴史教育を受けた人たちに、事実という光を当てて目を開かせたかったらしい。

 

日本と朝鮮、どうして差がついたのか…慢心、環境の違い。
いやそれは政治だ。

韓国の経済学者キム・イルゴン氏は、日本と韓国が決定的に違う国になった分岐点についてこう指摘する。

日本は土地の私有を認め、同時に封建制度を採用した。一方韓国は土地の私有を認めず、極端な中央集権制を採用した。この、十三、十四世紀に採用した制度の違いが、以後の両国の運命を決定した

「日本型リーダーの条件 (講談社文庫)  山本七平」

 

開国した数十年の差なんて大したことはない。
政府がいつ国民に土地私有を認めたかは重要なポイントだ。

日本ではそれが早くから認められていて、武士が与えられた土地(一所)を全力で守ったことから「一所懸命」という言葉ができて、それが「一生懸命」になったといわれる。
*この時代の武士の多くは農業もしていて、半分農民みたいなもの。

それに対して朝鮮ではすべての土地は政府のもので、国民の私有は一切認められていなかった。
だからその土地でできる作物は、支配階級である両班(りょうはん:ヤンバン)に奪われ尽くされる。

両班に納税の義務はなく、彼らは国民からしぼり取るだけ。
「朝鮮の官人(両班)はみんなが盗賊」と言われたコイツラが民衆にしたことは、搾取に搾取、そして搾取だ。
19世紀末の朝鮮を旅行したイギリス人のイザベラ・バードは、この国では人が大きく2種類に分かれていることに気づいた。

朝鮮には階級がふたつしかない。盗む側と盗まれる側である。両班から登用された官僚階級は公認の吸血鬼であり、人口の五分の四をゆうに占める下人は文字どおり「下の人間」で、吸血鬼に血を提供することをその存在理由とする。

「朝鮮紀行〜英国婦人の見た李朝末期  (講談社学術文庫) 」

 

昔の日本と朝鮮で、人間としての差があるとは思えない。
朝鮮では国民の権利を認めない、特権階級による不幸な政治システムによって民衆は奪われる一方で、何かを作っても生み出しても両班に取られるだけだから、生産性や創意工夫が引き出される社会ではなかった。

朝鮮に比べれば日本では国民に自由や所有権、富の蓄積が認められていたから、金さえあれば遠くに行くことができたし、いろんな魅力的な商品を用意してキレイに棚に並べて売っていた。
朝鮮では王族や両班が自分だけ豊かになろうと考えていたから、国としては停滞したままで、気づけば日本が未来社会に見えるほどの差がついてしまった。
14世紀の時点で、水車や貨幣の使用がなかったというのは決定的だ。

でもこれを反対に考えている韓国人が多いから、「ちがーう」と保守論客さんが活躍している。
それにしても良いものは良いと、進んでいるところは素直に認めて自国の発展に生かそうとする朴瑞生(パク・ソセン)はすごく客観的で公平だ。
絶滅危惧種ぐらいの割合だろうけど、こういう両班もいたらしい。

 

 

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国 「目次」 ①

韓国 「目次」 ②

韓国 「目次」 ③

 

4 件のコメント

  • 実際、大多数の韓国人が日本を見下している理由は、まさに上の文で指摘したように、明治維新以前までは朝鮮が日本より先進国だったという錯覚のためです。とてつもない幻想です。
    私が判断する朝鮮と日本の格差が広がり始めた時は1543年に日本の九州の種子島にポルトガル人2人と中国海賊が漂流してきた時期です。当時、朝鮮は外部の人の入国を許可せず、事故によりやむを得ず入国した外部の人は、再び出国させずに抑留しました。 徹底した鎖国政策でした。日本は種子島に漂流していたポルトガル人から鉄砲を高い価格で購入し、自社製作まで完成させる技術の発展を遂げましたが、朝鮮は1590年3月、対馬国当主である宗義智が日本製作の鳥銃を贈られたのですが、一切関心を持たず倉庫に閉じ込めました。
    日本はその後、西洋から多くの商人たちが出入りし、早くも東洋では最も早く西欧の先進文物を受け入れ、発展させていきました。14~15世紀にはすでに朝鮮とは比較にならないほど格差が広がりました。
    20世紀初めの韓日併合という屈辱を味わったのは偶然ではありませんでした。

  • >韓国の歴史教科書には~
    前から思ってるんですが、この手の資料文献を見せてほしいと
    べつに「ウソつきめ!証拠を出せ」とかではなく当時のいろんな視点で書かれたものを突き合わせていかないと本当のことはわからないと。「先進的な文化や文明」の具体内容や一部はホントに喜ばれたかも

    まぁ突き合わせたときどっちが正しいかってなったら自分らを上に見せるウソはあってもパク・ソセンの報告書みたいに下に見せるウソは考えにくいけど

  • 「記述を見たことがある」というようにこれは記憶です。
    これまで韓国の小中高の歴史教科書を、いろいろな年代のものを見てきてこの記述を見たということです。
    また、記事のすべてについて根拠を明示することはありません。
    すでに何度か書いているもののについてはソースを明示しないことがあります。

  • >大多数の韓国人が日本を見下している
    そんなことはない。劣等感の裏返しとしてそのような言動を取っているだけの事。
    >西欧の先進文物を受け入れ、発展させて・・・。
    西欧の先進文物を受け入れたから発展した?
    韓国人の嫉妬がよく出ている。和算、医学(麻酔)など、西欧より進んでいた側面もあるんだ。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。