最近、知人の台湾人がSNSに、
「この話は今日台湾で話題になっています。」
というメッセージと写真を投稿していた。
台湾に興味のある人なら、「ああ、あれデスネ」とピンとくるはず。
このまえ行われた自民党総裁選で勝利して、日本の次の首相になることがきまった岸田文雄氏の「ルーツ」が台湾の基隆(キールン)という港町にあることがわかったのだ。
岸田氏の曽祖父・岸田幾太郎さんは戦前に広島から基隆へやって来て、「岸田呉服店」と「岸田喫茶部」のオーナーをしていた。
その建物は100年以上たったいまでも、良好な状態で保存されているという。
写真を見ると、明治・大正時代のオシャレで趣きのある洋風建築だ。
「岸田呉服店」は現在はイタリア料理店になっていて、地元の人たちに親しまれているというから、これからは日台友好という付加価値が付いて新しい観光スポットになることは必至。
地元の市長はこの棚ぼた現象に、「このような縁があることは非常に光栄だ」とよろこんでいる。
基隆出身のエッセイスト・一青妙さん(歌手の一青窈さんの姉)がひょっとしてと確認したところ、「岸田呉服店」と「岸田喫茶部」はご近所だったと自身のブログに書いている。(2021.10.01)
昭和4年に作成された大日本職業別明細図を見ると、なんと、私の父の実家・顔家の「義和商行」と「雲泉商會」のすぐ近くにありました。
日台友好はネット民も望むところ。
・臺灣と日本國との絆、切っても切れないようですね。
・台中の無為草堂なんかも日本人が建築した回廊が残ってたりするので、そういう観点で台湾の日本家屋を見てもおもしろいですよ。
・台湾で良かった。
今でも残っているという事は信頼の証。
・台湾の方々、よくかくも古い建物を残してくれました。
岸田さんの支持者ではないですが、日本人として嬉しいですね。
北部にある基隆は日本統治時代、台湾への入り口と同時に日本(内地)への出口にもなっていた。
画像:Luuva
統治時代、台湾へ来てから現地の女性と恋仲になる日本人男性はよくいて、そんなカップルは「台湾夫婦」と呼ばれていたらしい。
でも内地への帰還命令が出ると、そんな関係は終わりにしないといけない。
それでサヨナラを告げる基隆ではいろいろなドラマがあったと、戦前の台湾を訪れた小説家の豊島 与志雄が書いている。
内地から台湾への入口たる基隆港について、ちょっと声をひそめたいことだが、台湾夫婦の基隆別れ…… という俚諺がある。固よりこの文句の示す通り、酒興遊楽のなかの愛欲事件を指すものであり、雨港たる基隆埠頭の一情景であろう。
「台湾の姿態 (豊島 与志雄)」
岸田幾太郎氏もここで、修羅場を体験したかもしれない。
それはともかく台湾に縁とルーツのある岸田新首相には、日本との友好をさらに深めていってほしいデスネ。
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