【日本将棋の歴史】インド発祥~独自の変化~戦後に消滅危機

 

「藤井聡太」という19歳の天才が竜王位を奪取し、初めて10代の四冠が誕生したことで日本将棋の歴史が動いた。
ちなみにこのとき藤井さんが食べたのは、「フェイジョア」という果物を使ったお菓子。
そんな快挙に沸いた先週の水曜日(17日)は「将棋の日」だった。

享保の改革をした人で、「コメ将軍」としても有名な第8代将軍・徳川 吉宗(168年 – 1751年)は将棋大好きの「コマ将軍」でもあった。
将棋ファンの吉宗が毎年11月17日を、将軍の前で将棋の対戦をおこなう「御城将棋」の日に定めたことにちなんで、日本将棋連盟が1975年にこの日を「将棋の日」とした。
そんな日に乗っかって、これから将棋の歴史について書いていこう。

 

チャトランガをする英雄クリシュナと恋人のラーダー

 

まず日本将棋連盟のHPを見ると、将棋の起源は古代インドのボードゲーム「チャトランガ」が最有力とある。
このチャトランガがヨーロッパに伝わってチェス、タイではマークルック、中国でシャンチーになり、日本では将棋になったという。
インドから日本へ伝わったルートにはインド→中国→朝鮮半島→日本と、インド→東南アジア→日本という2つの説が考えられている。

平安時代には日本人の間で行われていた将棋は、戦国時代にユニークで劇的な進化をとげた。

将棋史上で特筆すべきこととして、日本ではこの時期に相手側から取った駒を自分側の駒として盤上に打って再使用できるルール、つまり持ち駒の使用が始まりました。

日本将棋の歴史 

 

戦って倒した敵は、自分の仲間になるー。
そんな少年ジャンプのような発想が戦国時代にあったらしい。
実際には、コマの取り捨てだと勝負がつかなくなることが多かったから、相手のコマを自分のものとして使うルールができたとか。
この日本独自のルールによって、将棋の世界はさらに深く面白くなっていく。

その魅力にハマった徳川吉宗が、11月17日を「御城将棋」の日にしたのはさっき書いたとおり。
将軍の保護を受けて発達したことで、徳川幕府が崩壊すると経済的な後ろ盾を失い、日本将棋は苦難の時代をむかえることになる。
でも明治時代に、新聞の紙面に将棋欄を開設されたことがきっかけで、将棋人気が高まって息を吹き返す。
で、そのまま太平洋戦争に突入し、戦後になると、日本将棋に消滅の危機が訪れた。

戦後の日本を支配していた連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は、日本を「二度と戦争をさせない国」につくり変えるため、教育や制度など社会のあらゆる部分に手を突っ込んで、戦争につながると考えられたものは廃止したり変えていった。
将棋もそのひつ。
これを封建的思想の強い娯楽と考えたGHQは、その排除をねらって日本将棋連盟に呼び出しをかけた。
対して連盟側は知識豊富の升田幸三を送り込み、GHQとの絶対に負けられない一戦を行う。

「将棋はチェスとは違い、敵から奪った駒を自軍の兵として使う。これは捕虜虐待という国際法違反である野蛮なゲームであるために禁止にすべきである」

こんなバカなことを言うGHQに、升田はこう反論。

「チェスは捕虜を殺害している。これこそが捕虜虐待である。将棋は適材適所の働き場所を与えている。常に駒が生きていて、それぞれの能力を尊重しようとする民主主義の正しい思想である」
「男女同権といっているが、チェスでチェスではキングが危機に陥ったときにはクイーンを盾にしてまで逃げようとする」

こうして升田がGHQを納得させたことで、将棋の禁止はまぬがれた。
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将棋禁止の危機

 

古代インドで生まれたボードゲームが東南アジアか中国から日本へ伝わり、戦国時代に「持ち駒の使用」という新しいルールが加えられて日本独自の将棋となった。
江戸幕府と運命をともにしたり、GHQに敵視されて衰退や消滅の危機を迎えるも、そのつど何とかピンチを乗り越えて、現代では「藤井聡太」という鮮やかな天才が現れた。
これからの日本将棋の歴史は、この人を中心に大きく動くはず。
とりあえず次の「モグモグたいむ」では、浜松が誇る『大砂丘 – ベリージュエル -』をぜひご賞味いただきたい。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。