ベトナムには仏教徒がたくさんいて、浜松にもベトナム人が通う仏教寺院がある。
すこし前、そこへ行ってみたときに、こんなベトナム将棋を見つけた。
ベトナム将棋の駒
お寺は宗教施設だけど、ここは娯楽会場にもなっている。
ベトナム人ならだれでも将棋のやり方を知っているし、人が集まる場所なら、自然とこれが標準装備されるらしい。
東洋に将棋があれば、西洋にはチェス(西洋将棋)がある。
最大の違いはプレーヤーで、庶民的な将棋に対してチェスにはオシャレと高級感があふれている。
中国やベトナムの将棋は街中で、やや汚れたTシャツを着たおっさんがいすに座って楽しんでいるけど、チェスはお城の中でヨーロッパの貴族が興じている。
というのは偏見と西洋コンプレックスとアニメの見過ぎで、両者の社会的な位置づけは変わらないと思う。
ただ、「詰みだ」と言うより、「チェックメイトだ」と言ったほうがそこはかとなく優越感を感じる。
チェス
東洋の将棋も西洋のチェスも元は同じで、真ん中のインドではるか昔に生まれたゲーム「チャトランガ」がその起源といわれる。
ボクはこれをやったことがないけど、ラージャ(王)・ハスティー/ガジャ(象)・アシュワ(馬)・ラタ(車)/ローカ(船)・パダーティ(歩兵)の5つの駒を使って相手陣地へ攻め込むのは将棋とよく似ている。
インドのチャトランガ
18世紀にイギリスの学者ウィリアム・ジョーンズがインドでチャトランガを見てヨーロッパへ紹介した。
紀元前4世紀、東征したアレクサンダー大王がインドでチャトランガを見たという説もある。
インド神話にでてくるクリシュナとラーダーがチャトランガで遊んでいる。
日本将棋連盟のホームページでも、将棋の起源はチャトランガであるという説を「最有力」と書いてある。
これが西や東に伝わって各地でいろんなゲームができたという。
ヨーロッパやアジアの各地に広がり、さまざまな類似の遊戯に発展したと考えられています。西洋にはチェス、中国にはシャンチー、朝鮮半島にはチャンギ、タイにはマークルック、そして日本には将棋です。
「起源といわれる」と責任逃れに書いたけど、「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説」を見ると、チャトランガが「シルクロードを通って各地に伝えられ,その土地で改良されてきた。ヨーロッパに渡ってはチェスとなり,中国においては象棋となった。」と断定的に書いてある。
これはもう、「起源だ」と言い切っていいだろう。
ちなみに、日本将棋の伝来ルートははっきり分かっていない。
ボクは中国から伝わったと思っていたけど、日本将棋連盟は「インド~中国~朝鮮~日本」と「インド~東南アジア~日本」と2つの説を紹介している。
東南アジアから日本へやってきた可能性もあるのだ。
インドのチャトランガが西へ伝わって、ペルシャで上の「シャトランジ」(ペルシア語: شطرنج)になった。
そしてそれがヨーロッパでチェスとなる。
イスラム世界には王族や高貴な階層だけの遊びではなく、民衆にもシャトランジが普及した様子がうかがえる。
二人制チャトランガの駒の配置
以前、インド人からチャトランガについて聞いたことがある。
彼が言うには、古代のインドでは実際に戦争をする代わりに、チャトランガで勝負をしたこともあった。
ということは、このゲームで負けたほうは領土やそこに住む人民を取られたということか?
さらにいまでいう「人間チェス」のように、王や貴族が城の中庭に人間を駒として配置させて、高いところから指図してチャトランガを楽しんだこともあったという。
以上2つを総合すると、インドのチャトランガは将棋とチェスだけではなくて、「ノーゲーム・ノーライフ」の起源でもあったわけだ。
おまけ
インドのお城
よかったらこちらもどうぞ。
日本の将棋が、インドのチャトランガからどのような経路で日本へ伝来したのかは分かりません。
しかし不思議なことが一つあります。チャトランガも、チェスも、日本将棋も全てボード上のマス目の中に駒を置くのに対し、中国将棋(シャンチー)は囲碁のように格子の交点上にコマを置くのです。どうして中国将棋だけがそのように変形を遂げたのでしょうか?中国では囲碁が昔から盛んであったことと、なにか関係があるのでしょうか?
チャトランガがそのままの形で日本に来たわけではないと思いますよ。
そういえば中国将棋は置き方がちがいますね。たぶん、ベトナム将棋も同じです。
でもその由来は分かりません。
いやいやいやいやいや