さー今回はピラミッドについて、いろいろ知っていきまっしょう!
〇「ピラミッド」の名前の由来
「ピラミッド」という言葉は、アラビア語も古代のエジプトの言葉でもなくてギリシア語になる。
これらの建造物にピラミッドという名前をつけたのは、古代エジプト人ではなく、後世のギリシア人なのである。
ギリシア人がピラミッドと名付けた由来はいくつかの説がある。たとえば、ピラミスという四角推のパンに似ていたからとか、ギリシア語の「火」の意味である「ピュル」からきたとかがあるが、とにかくギリシア人が正四角錐をみてピラミスといったのである
(古代エジプト講義録 上 吉村作治)
「ピラミッド」という言葉はギリシア語だったけど、そもそも、エジプトという国名もギリシア語だ。
昔むかし(紀元前2000年ごろ)、エジプトは、外国から「フウト・カァ・プタハ(プタハ神の神殿)」と呼ばれていた。
この語がギリシア語で「アイギュプトス」と転訛し、それが「エジプト」の国名になっていったのである。
(地名の世界地図 文藝春秋)
エジプト人は、「エジプト」とは言わずに、自分たちの国を「ミスル」と呼んでいるらしい。
ちなみに、首都カイロは「勝利の都」という意味。
さらに「オベリスク」はギリシア語。
オベリスクの名称は後世のギリシャ人がobeliskos(串)と呼んだのが起源で、当時のエジプトでは「テケン(保護・防御)」と呼ばれていた。
(ウィキペディア)
おまけにカレー、カースト、仏教のふるさと「インド」という国名もギリシア語に由来する。
ヒンドィー語だとバーラトにある。
今のインド人は、英語の「インディア」を使うことが多いらしいけどね。
オベリスク(ウィキペディアから)
〇ピラミッドの目的
昔は「古代エジプトの王の墓」と聞いたけど、実際のところはわかっていない。
王の権威を象徴する石造建築物。腰掛状の墳墓マスタバが原型と考えられ、古代王国時代に盛んに作られた。
(世界史用語集 山川出版)
とここでは「王の権威の象徴」と書いてあるけど、「墓」とは書いていない。
答えがない。答えがないから、いろいろな人がいろいろなことをいう。それはそれでいいと思う。昔はピラミッドを掘ることで話題となり、現在はピラミッドの仮説を立てることで有名になるからである。
(古代エジプト講義録 上 吉村作治)
日本一のエジプト専門家といえば、吉村作治先生でしょ。
この先生の本でも、お墓だとは書いていない。
でも、この記述を読むとピラミッドの目的は、わからなくてもいいみたい。
この先生の記述だと、「いろんな説を唱えることで学者が有名になる」ことに意義を見いだしてるみたいだし。
ちなみに、「ピラミッドはお墓説」には、吉村作治先生はむしろ否定している。
もともと真正ピラミッドは墓ではなかった」と考えるのが妥当ではないか、と私には思われるのである(同書)
「ピラミッドの中」
〇初めてピラミッドを見た日本人。
ギザのピラミッドをはじめてみた日本人は、一八六四年に江戸幕府が派遣した遣欧使節団の一行になる。
一行は文久3年12月29日(1864年2月6日)にフランス軍艦ル・モンジュ号で日本を出た。上海やインド等を経由し、スエズからは陸路でカイロへ向かい、途中ギザの三大ピラミッドとスフィンクスを見学し写真を撮っている。その後地中海を通って、マルセイユに入港した。
(ウィキペディア)
これがその上の写真
「古代エジプト講義録 上 吉村作治」によると、このとき、日本人はピラミッドを「三角山」と言っていたらしい。
そして、中国では「金字塔」と言っていた。
中国人の方がセンスがある。
「その形からかつては金字塔(きんじとう)という訳語が使われていた。」
と、ウィキペディアに載ってるけど、この訳語は日本人が造ったものではなくて、中国人が造ったもの。
現代においても「金字塔」は、ピラミッドのように雄大かつ揺るぎもしない後世に永く残る立派な業績(偉大な作品や事業)などを表す代名詞となっている。
(ウィキペディア)
でも、今じゃ、「金字塔」という言葉が、もともとピラミッドを表す言葉だということを知らない方が多いと思う。
〇ピラミッドの保護
エジプトは観光大国で、ピラミッドはその目玉。
だから保護にも力を入れている。
今は、エジプト政府が文化財保護に非常に熱心なこともあって、ピラミッドにほんの少しでも傷をつけようものなら、たちまち遺跡破壊罪になってしまう
(古代エジプト講義録 上 吉村作治)
ピラミッドは、1983年まで頂上まで登ることができたらしい。
でも、ピラミッド保護と落ちて死ぬ人が続出して禁止となる。
興味がある人は、2015年に、エジプト政府の特別な許可を受けて「世界ふしぎ発見」で登っていたから、その映像がどこかで見られると思う。探してみよう。
次回は、そんなピラミッドに登ってしまった日本人旅行者の話。
もちろん違法だ。
よかったら、こちらもどうぞ。
エジプト考古学を大学でやりました。 色々懐かしく読みましたね・・・「墓ではない」に関しては、古王朝時代、それ以前から遡っていろんな建造物が作られほとんど潰れました。 岩石の質が悪く、軽石レベルの岩石で作られてるのが一番の要因ですが、それはさておき・・・その時代に作られたモノも墓を目的としてた訳ではないようです。 でも、その後の石室が作られた大型のモノについては「墓ではない」論文のほとんどの論理に無理がある。 今の欧米を主体とする学会は医学も同じですが「反証できなければ何でもあり」になってます。 学者の間で失笑を買おうが、学問によっては「研究対象・方向性を見出す」だけが「教授としてメシを食う」目的になってしまっている現状がある・・・悲しい事ですが。
コメントありがとうございます。
ピラミッドをはじめ、エジプトの遺跡は魅力的でいろいろな疑問が浮かんで興味が駆り立てられます。
実質的な内容はなく「奇をてらう」の発想で、注目をあびることが一番の目的になっている分野はいろいろとありそうですね。
政治家を見ていてそう思うことがあります。
そうでないと食べていけないのかもしれませんけど。