今回の話はハワイのことだもんで、まずは「フラ(フラダンス)」を見てもらおう。
ダンス、演奏、歌を含めたハワイの伝統的な歌舞音曲をフラという。
もちろんこれは「アロハ」と同じで、英語じゃなくてハワイ語(hula)だ。
はるか昔のハワイには文字がなかったから、フラがどんな目的で作られたのかは分かっていないが、神さまにささげる神聖な歌や踊りだったことは間違いない。
日本でいえば神楽か。
日本にもスクールがあって有名なこのハワイの踊りは、19世紀前半にハワイへやってきたアメリカ人の宣教師にとっては許しがたいものだった。
フラはキリスト教ではない異教の踊りで、女性が裸に近い恰好で腰をくねらせる動きは不道徳だ(エロい)といった理由から、踊ることも教えること禁止されてしまった。
ハワイ出身のアメリカ人から聞いた話では、このとき欧米からやってきた宣教師は、ハワイの文化を野蛮で低レベルなものとみなし、ハワイの言葉や信仰などを禁じたことで、いろいろな固有の文化が失われてしまった。
そんなエラそうなアメリカ人に逆らって、ハワイの伝統や芸術を重視した7代目国王のカラカウア(1836年 – 1891年)がフラを復活させた。
この王はいまでもハワイの人たちに人気で、ワイキキには「カラカウア」にちなんだ通りがある。
彼が生きていた時代は、多くの欧米人がやってきて政治や経済でハワイを侵食していき、ハワイ王国の主権を維持することも難しくなっていた。
そこで世界中にハワイという国があることをアピールするため、そして国際社会の現実を知っていろんなことを学ぶために、カラカウアは世界一周の旅に出かけることを決める。
カラカウア
そして1881年3月5日、ハワイ国王が船で日本へやって来た。
日本は中国や朝鮮半島の国とは昔から交流があったものの、皇帝や国王が来日することはなかったから、日本が歴史上、初めて迎えた外国の国家元首はカラカウア国王ということになる。
そのせいか日本のおもてなしには気合いが入入りまくり。
横浜港では二十一発の礼砲をうち、カラカウア王自らが作詞したハワイ王国の国歌を演奏して一行を歓迎した。
でも、オモテナシにも限界はある。
明治天皇に謁見した王は、姪(めい)のカイウラニ王女と日本の皇族との結婚を申し入れた。が、その提案は丁寧に丁重に拒否られた。
王としてはここで日本と強固な関係を築いて、ハワイの独立を維持しようという考えがあったはずだ。
フラを復活させたのも、失われていくハワイの独自性を守ろうとする熱い思いがあったからだろう。
*上のフラの動画ではステージの後ろにカラカウアの写真があるから、国王に踊りを見せるという意図もあるのでは。
縁談は失敗したけど、日本人を労働者としてハワイへ送ってほしいという願いは受け入れられて、その後、たくさんの日本人が移民としてハワイへ渡ることとなる。
でも、そこはパラダイスではなかった。
官約移民は「3年間で400万円稼げる」といったことを謳い文句に盛大に募集が行われたが、その実態は人身売買に類似し、半ば奴隷に近かった。労働は過酷で、現場監督(ルナ)の鞭で殴る等の酷使や虐待が行われ、
工場で働く日本人の移民
リリウオカラニ
カラカウア王が亡くなって、次に即位したリリウオカラニ女王のときにハワイ王国は滅亡して、1898年にアメリカへ併合された。
さきほどのハワイ出身のアメリカ人と話をしていると、日本に皇居があるようにアメリカにも「王宮」があると言う。
それはカラカウア王が建てたイオラニ宮殿で、現在は有名な観光スポットになっているらしい。
歴史に「タラレバ定食」がないのは知ってる。
でも、もし明治天皇がカラカウアの結婚話を受け入れて、日本とハワイが同盟関係を結んでいたら、イオラニ宮殿にはいまでも主が住んでいたかも。
イオラニ宮殿
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