近隣諸国ゆえの「近くて遠い」関係
日本と韓国の関係は「近くて遠い国」と表現されることが多い。
日韓は対馬から釜山が見えるほどの距離にあるのに、歴史的な問題で政治的にはよく対立するからだ。
日本とブルンジみたいに、実感がつかめないほど遠く離れた国同士なら、良くも悪くもなくニュートラルな関係でいられる。
しかし、隣国同士だと、長い歴史のなかで、相手国へ攻め込んだり自国が侵略されたりするから、そのトラウマが現在の認識や悪感情を形成してしまう。

バンコクの博物館にあった「ゲーム」
ガイドの話では、これは攻めてくるビルマ(ミャンマー)軍の兵士を大砲で撃退するというもの。
いくら2次元とはいえ、子どもが隣人を◯す内容のゲームには正直引いた。
「タイ人の心の奥底にはミャンマーへの憎悪があるでは?」と感じざるを得なかった。
バンコクの空港で起きた「不快な洗礼」
さて、タイは「ほほえみの国」と言われるほど、国民は大らかな(またはテキトーな)性格をしているが、隣国のカンボジアとの関係は悪く、ミャンマーともあまり良くない。
知人のミャンマー人がタイへ行ったとき、こんな体験をした。
彼がバンコクの空港に到着し、ミャンマー人からすると30年先をいってそうな近代的な建物の中を通ってイミグレーションオフィスへ到着。
列に並んで自分の番がきたので、手続きのためにパスポートを入国審査官にわたすと、国籍を確認した審査官は不機嫌そうな顔になり、スタンプを「バンっ」と押してパスポートを彼にほうり投げた。
海外でパスポートは「命」と言えるほど重要なもので、国の象徴でもある。
イミグレの職員はそれをゴミを捨てるように扱ったから、彼の名誉や愛国心は深く傷つけられたが、入国審査で怒るわけにもいかない。
彼のタイの第一印象は最悪で、発散できなかった怒りは今も心の中にある。

現在のアユタヤ
宿敵・ビルマとの戦いとアユタヤ王朝の滅亡
でも彼は、タイ人がミャンマーに悪感情を持つとしたら、思い当たる出来事があると言う。
それは1767年のきょう4月8日、ビルマ(ミャンマー)の侵攻を受けたタイのアユタヤ王朝が滅亡したことだ。
1351年に誕生したアユタヤ王朝は同じタイ族のスコータイ朝を吸収したり、隣接していたカンボジア王国の領土を奪って拡大し、東南アジアでも屈指の大国となった。
しかし、ビルマが西から何度も攻撃をしかけてくるようになると、アユタヤはその対応に苦悩する。
その点、四方八方を海に囲まれた日本はラッキーだった。敵からしたらアクセスはむずかしいし、暴風雨が元軍を吹き飛ばしたこともある。
陸続きの国だとそんなミラクルは起こらず、1569年の戦争(第一次緬泰戦争)でアユタヤはビルマに敗北し、支配下に置かれるようになった。1590年にナレースワンというタイの英雄王が現れると、アユタヤは独立を回復する。
この手痛い失敗に懲りたアユタヤは敗北の原因を徹底的に洗い出し、完璧な対策を用意して、スキのない鉄壁の国となったらよかったのに、そうはならなかった。
繁栄と活気にあふれていたアユタヤの首都は1767年4月8日、ビルマのコンバウン王朝に破壊され、燃やし尽くされた。
タイの高校生用の歴史教科書によると、タイ人にとってこの出来事はこれ以上ないほどの悪夢だ。
アユッタヤーがビルマに2度目の敗北を喫したことは、タイにとって重要かつ最悪の事件であった。王国の中心都市が破壊し尽くされただけではなく、各ムアンも大きな打撃を受けた。多数の人びとが死に、住んでいた場所を追われて捕虜になる者もあった。いくつもの町が廃墟と化した。
「タイの歴史 (明石書店)」
歴史の傷跡と「許すが忘れない」という難しさ
この悲劇から250年以上が過ぎた。
知人のタイ人(20代・男性)にミャンマーについてどう思うか聞くと、彼はこんな話をした。
「もう数百年も前のことで、今のミャンマー人に責任はありませんから、わたしは気にしていません。でも、やっぱりアユタヤに行って、あの廃墟を見ると、悲しみと怒りが入り混じった複雑な感情がわいて心が熱くなります。普段は意識していないのですが、心のなかではミャンマーを許せない気持ちがあるんでしょうね。」
中学校の旅行でアユタヤへ行ったとき、先生から「タイ人としてこの屈辱を忘れてはいけません」と言われたことを彼は今もよく覚えている。
アユタヤ遺跡は王朝が滅亡した瞬間が「凍結」され、廃墟として残されているから、タイ国民がそれを見るとネガティブな感情が呼び覚まされてしまうのだろう。
イミグレの職員もミャンマーのパスポートを見て、アユタヤの廃墟を思い出したのかもしれない。
歴史の「許すが忘れない」は本当にむずかしい。

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