日本では毎月26日は「風呂の日」の日で、4月26日は「よい風呂の日」になっている。
日本人のお風呂好きは、控えめに言って異常。
東日本大震災を取材した外国人記者が「いま一番ほしいものは何ですか?」と被災者に質問したら、「お風呂。おったかいお風呂に入りたい」と答えたのを聞いて、日本人がここまでお風呂好きとは思わなかった!と驚いたという記事を読んだことがある。
明治時代の教育者で、東洋大学の設立者としても有名な井上 円了はアメリカへ行ったとき、日本人は不潔だから、衣服を洗濯しないと聞いたけど実際はどうなのか?と現地の人に聞かれ、もちろん日本人も服を洗うが、その回数は欧米人とは違うと井上はいう。
そして「キレイ」の概念の違いについてこう書いた。
日本人は毎日浴湯するの風習あり、欧米人は毎月一回もしくは半年に一回浴湯するのみ。衣服を洗濯すると身体を洗濯するとは、いずれが最も清潔なるや。
「欧米各国 政教日記 (井上 円了)」
井上 円了(1858年 – 1919年)
まいにち身体を洗うのと、まいにち服を洗うのではどっちが清潔なのか?
うん、これは「生きるべきか、死ぬべきか」並みの悩ましい問題。
ただ現在の欧米人が風呂には月1回、または半年に1回しか入らないということはなくて、いまポーランド出身でアメリカにいる知人に聞いたら、いまの欧米人は1日に1度シャワーを浴びるのが普通で、ストレスや痛みがたまったときには湯船(バスタブ?)に入る人もいるらしい。
上の記述も100年以上前の個人的な見聞録だから、どこまで正確かはナゾだ。
欧米に比べると日本は湿度が高くて、日本語を話せない知人のバングラデシュ人でも自然と「ムシムシする」という言葉を覚えるほど。
さらに世界的にも雨が多くて水が豊富な国だから、お風呂に入る頻度は自然と高くなる。
日本でも夏と乾燥した冬では、お風呂に入りたくなる気持ちが違ってくる、と言いたいところなんだが、冬は冬で湯船に入ってあったかくなりたいから、やっぱり日本人は基本まいにちお風呂に入りたいのだ。
「風呂に入る」を湯船に浸(つか)るのではなくて、シャワーでざっと身体を洗うという意味でいうなら、タイ人やインドネシア人などのほうが日本人よりその頻度は高い。
インドネシア人は朝起きた後と夜寝る前にシャワーを浴びるし、イスラム教徒ならモスクへお祈りに行く前にシャワーを浴びる人もいて、なんだかんだで1日に2~4回も水で汗を流す。
とくに東南アジアでは「朝起きたら、まずはシャワー」が鉄壁のルーティン。
知人のタイ人いわく、朝ごはんを抜くのは問題ないけど、シャワーを浴びないで出かけるコトは考えられない。
タイの学校で働いていた日本人が、断水でシャワーを浴びられないからという理由で、学校を休む生徒がいると驚いていた。で、タイ人の先生も「ならしょうがないねー」と納得するらしい。
でも、東南アジアの人たちの言う”お風呂”は、シャワーでざっと体を洗い流す簡単なもので、ゆっくり湯船に浸って、なんならそのまま何かを飲んだりドラマを見たりして、心身を癒すという至福の時間のことではない。
温泉文化のある日本人にとって、お風呂は特別にして格別な意味がある。
1000年に1度の大災害でそれを切実に願うのも、お風呂には心を癒して、心身を生き返らせる効果があるからだろう。
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