きょう8月1日は、ユッティが皇帝になった日だ。
527年のこの日、ヨーロッパ世界では超有名人で、「大帝」とも言われるユスティニアヌス1世が東ローマ帝国の皇帝に即位した。
ちなみに日本ではこのころ(6世紀半ば)、朝鮮半島から仏教が伝わったという記録がある。
江戸幕府を倒した明治政府が目指したのは、欧米列強レベルの一流国になることで、そのためには近代法による統治が不可欠だった。
それで日本人はヨーロッパに学んで大日本帝国憲法(明治憲法)をつくり、それを施行して、日本はアジア初の近代国家になることができた。
明治政府はフランスの法学者ボアソナードを「お雇い外国人」として起用し、ヨーロッパの法を参考にしながら、日本の習慣や価値観に合わせた民法や刑法を整備していく。
江戸と明治時代の日本では、西洋の法体系を取り入れたことが決定的に違う。
歴史をたどると、これにはユスティニアヌス1世が関係しているのだ。
ユスティニアヌス1世
いまのトルコの都市イスタンブルは東ローマ帝国の首都があったところで、キリスト教の壮大な聖堂「アヤソフィア(いまはイスラム教のモスク)はユスティニアヌス1世によって建てられた。
彼の世界史的な功績はそんな巨大建造物を建てたことより、それまであったローマ法を統合して書き直した「ローマ法大全」を生み出したことにある。
「法による統治」は古代ローマ帝国の時代からあって、東ローマ帝国もその時代の法を採用していたが、古代ローマの法律は激しく分かりにくかった。
法のどの部分が有効か無効かもよく分からないようなゴチャゴチャ状態にあって、とても複雑で扱いづらい。
それでユスティニアヌス1世が法学者に命じて整理させ、ローマ法大典としてスッキリまとめた。
といっても、これもかなり複雑だったらしい。
これはその後のヨーロッパ社会の法の制定や、法による統治に大きな影響を与えることとなる。
それはブリタニカ国際大百科事典に、
「聖書に匹敵する歴史的意義をもつだけでなく,法律学上の法的思惟ないしは法的技術の宝庫として今日なお重要な地位を占めている」
と書かれるレベル。
このローマ法大全は現代のヨーロッパ諸国の法の土台になっている。
日本では8世紀に大宝律令が制定・施行されて以来、”法治”は江戸時代まで続いていく。
そんな「日本人の日本人による日本人のための法」を一度解体して、明治維新でヨーロッパの法体系を取り入れ、それを骨格にして日本は近代国家になった。
だから明治やその後の日本も間接・根源的に、ユスティニアヌス1世の「ローマ法大全」の影響を受けているはず。
ローマ法大全のモトとなった古代ローマの法は、2000年以上も前にできている。
日本人がドングリを拾っていたころ、ヨーロッパでは法による統治が始まっていたのはスゴイ。
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