イギリスの植民地支配、インド人が話す「闇=光」のワケ

 

日本で「島原・天草一揆」が起きた2年後、インド南部では1639年のきょう8月22日、イギリス(東インド会社)によって麻打拉薩、おっとマドラスの建設がハジマタ。
*関係ないんだが、きょうは「22.8.22」と並びがとてもいい。

マドラスとはイギリス人がつけた都市名で、現在ではチェンナイと呼ばれている。
タミル・ナードゥ州の州都であるチェンナイは約700万の人口をもつインド有数の大都市で、ここから多くの人が出入りすることから、「南インドの玄関口」として世界的にも有名。
知り合いのタミル人に「あなたの州で自慢に思うことは?」って聞いたら、グーグルの最高経営責任者であるサンダー・ピチャイさんはタミル・ナードゥの出身で、チェンナイで育ったのだとキメ顔で言う。
それから教育レベルはとても高いとか、人々はフレンドリーだとかの「タミル自慢」が始まってややウザかった。

チェンナイの名前はかつてこの地にあったヴィジャヤナガル王国を守るために、敵と戦って命を落とした英雄ダーマルラ・チェンナッパ・ナーヤカに由来する。
でも、ヨーロッパの大国から逃れることはできなかった。
1639年のマドラスの後、やがて全インドがイギリスの支配下に置かれるようになる。

外国の植民地になるというのは主権も自由も奪われて、国として奴隷状態になるようなもの…と考えていたら、チェンナイに行って現地の人に話を聞くと、必ずしもそうでもなくて肩透かしをくらったことがある。
マレーシアを飛んでチェンナイの空港へ到着した後、なかにあった旅行代理店に入ってヒゲもじゃのおっさんに、英語のガイドを雇いたいと言うと、「いつだ?明日?OK、オレは明日休みなんだ。案内してやるよ」というインドらしい不思議な展開になって、次の日に彼がバイクに乗って宿にやってきた。

チェンナイで生まれ育ったそのインド人はオススメの観光スポットとして、世界で2番目に長いビーチのマリーナビーチ(1位はバングラデシュのコックスバザールビーチ)やチェンナイ中央駅を挙げる。(下の動画で2分40秒のところ)
1873年に開業したこの駅では建物(駅舎)がいまでも現在でも使われていて、彼はオシャレで歴史を感じさせるデザインがとても気に入っている。

 

 

ビーチは自然だからいいとして、植民地時代にイギリス人が建てたチェンナイ中央駅を“自慢”と言うのはどうなのか?
英雄に由来するチェンナイから、マドラスへ改名させられたのに。
イギリス支配に反発し、1857年の第一次インド独立戦争(イギリス側ではインド大反乱)で命をかけて戦って散ったお先祖さまに申し訳ないと思わないのか?
その点については、彼は植民地支配の闇と光を客観的に理解していた。
イギリスが鉄道網と駅を整備したことで、インドの富や製品が集められてイギリスへ送られていったが、これはその後にチェンナイが大発展する条件になった。
だから、鉄道網と駅には時代によって収奪と成功の意味がある。

植民地時代、イギリス人は学校を建てて英語教育に力を入れていた。
役所の書類は英語で作成することになっていて、自分たちの手足となる便利で有能なインド人の役人を育てるために、イギリスはチェンナイに大学をつくる。
インド人も外国語を学ぶ必要に迫られ、それがイギリスに利用されて植民地支配がさらに強固になった面はあるが、そのおかげで、いま多くのインド人が世界中で活躍できる素地がつくられた。

植民地支配はもちろん基本的には悪。
でも、それには暗黒だけではなくて光もある。
悪い面だけを取り出して全否定するやり方は公平ではないし、視野も狭いという彼の意見には説得力がある。
なるほど、とてもいい話を聞くことができた。
「オレは明日休みなんだ」というところから、想像を超えた展開になるからインドの旅はおもしろい。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。