ちょっと前に、インド人の友だちから晩ご飯に招待された。
で、その時に、そのインド人とその奥さんといろいろな話した。
日本とインドのカレーの違いを始め、あれやこれやと。
今回のテーマはこんなこと。
インド人は英語が話せて、日本人は英語が話せない理由について。
これがその時のメニュー
そのインド人は、日本の会社で働ている。
それで、彼の目から見た「日本人とインド人の違いは?」と聞いたら、こんなことをぬかす。
「日本人と仕事をしていて驚いたのは、日本人が英語が話せないことですね」
なんだと?
そのとおりじゃねえか。
「ふつうの人が話せないのはわかります。でも、日本では外国人と仕事をするような人たちでも英語をあまり話せません。こんなことは、インドではないです」
彼の大学では、授業はすべて英語でおこなわれていたという。
インドの大学では、それがふつうらしい。
そりゃ、インド人に英語で勝てんわ。
なんで日本人が英語を話せなくて、インド人は話せるのか?
その理由について、インド人と話をした。
インド
ジャイサルメールの近く。
結論からしたらこんな感じ。
日本とインドとは、社会と歴史が違うから。
今回は、社会の違いについて書いてきます。
前に日本へ旅行に来たベトナム人の友人が、こんなことを話していた。
「日本人が英語を話せない理由は、話す必要がないからじゃないですか?日本はとても発展した国だから、英語が話せなくてもいろいろな仕事につくことができます。でも、ベトナムは違います。英語を話せなかったら、就職先はかなり少なくなります。英語力もコネもなかったら、かなり条件が悪い仕事しかないですよ」
日本の社会では、英語が話せなくてもふつうに生活できるし問題なく生きていける。
でもベトナムでは、英語できるかできないかでは、人生が大きく違ってくるという。
日本人は社会からの英語の必要性を強く求められていない。
そのことが、日本人が英語を話せない理由につながる。
そのベトナム人から見ると、「日本人は、英語を学ぶ動機や意欲が薄いから話せないのよ」となるらしい。
本当にそう思ったのか?
英語力がない日本人を慰めるために、無理やり考え出したのか?
それはわからん。
それをインド人に言って、彼の意見を聞いてみた。
「その理由はありますね。日本では英語が話せなくても、大きな問題はないじゃないですか。でも、インドで英語が話せる人と話せない人とは、まったく別の人生になりますよ。その点ではベトナムと同じですね。インドでも英語力がなかったら、給料が安いとかとてもきついとか、そんな仕事しかないです」
ということで、日本人が英語を話せない理由はこれ。
日本では、英語を必要としない仕事がたくさんあるから。
それと彼は、インド社会の多様性についても話していた。
インドにはいろいろ民族や宗教の人たちが住んでいる。
宗教でいえば、こんな感じ。
数字は、外務省のインド基礎データから。
ヒンドゥー教徒79.8%、イスラム教徒14.2%、キリスト教徒2.3%、シク教徒1.7%、 仏教徒0.7%、ジャイナ教徒0.4%
(2011年国勢調査)
そしてインドの言葉はこんな状態。
連邦公用語はヒンディー語、他に憲法で公認されている州の言語が21
憲法で公認されていない言語もたくさんある。
一説には、インドには千以上もの言語があるという。
「連邦公用語」であるヒンディー語ができないインド人もたくさんいる。
上の写真の100ルピー札の左側には、15の文字がありますね?
すべて「100(ルピー)」と書いているらしい。
インドにあるすべての文字をお札に書くことはできない。
憲法で公認されている、21の言語で書くことも難しい。
だから、お札には「最低限必要な文字として15の文字がある」ということになる。
シッキムもこれに近い感じ。
友だちのインド人は、新婚旅行でシッキムというところに行っている。
シッキムはインド北部で、ネパールやブータンにとても近いところ。
景色が良いところなんだ。シッキムは。
そのシッキムのホテルの従業員は、ヒンディー語が話せなかった。
友人のインド人は、シッキムの言葉がわからない。
そうすると、英語で話すかない。
ホテルの従業員だから、英語はわかる。
国内にいくつも言葉があったら、どうしてもそんな共通語が必要になる。
インドのばあい、英語がその共通語の役割をはたしている。
もし、友人が英語を話せなかったら、ホテルの従業員と話をすることができなかったことになる。
同じ国内のインド人同士にもかかわらず。
また、インドを旅行中のムンバイでこんなインド人に出会った。
そのインド人は、最近デリーからムンバイに引っ越してきたという。
彼はコックをしている。
デリーからムンバイに来て何が困ったかを聞いたら、彼がこんなことを言う。
「言葉がわからなくて困ったよ。ムンバイの言葉はデリーと全然違うんだ。ムンバイの言葉だと、何を話しているかわからないし新聞も読むことができないんだ」
同じインド国内でも、共通の言葉を知らないと話もできないし新聞も読めないという状態になってしまう。
「ボクはコックだから良かったよ。カレーの作り方はデリーと同じだから」
「言葉は違うけど、カレーの作り方は同じ」というところは、さすがインド。
Ths is India!
日本国内だったら、言葉で困ることはない。
ボクは大学時代に、沖縄の波照間(はてるま)島に行ったことがある。
波照間島は、人が住んでいる島としては日本で最南端のところ。
そこでも日本語は通じた。
あたり前だけど。
でも、この当たり前が当たり前ではない国が、世界にはたくさんある。
インドネシア人の友人は、「インドネシアでは、じゃんけんの言葉が島ごとに違うんですよ」と言っていた。
日本国内で、「英語が話せないと、ホテルの従業員と話ができない」なんて状況は想像できない。
むしろ、2人の日本人が英語が話せるという事態が奇跡にちかい。
日本では、国内旅行で言葉の心配なんかいらない。
日本の社会は多様性の反対で、同一性がすごく高いから。
日本中のどこに行っても、日本語が通じる。
静岡にいるボクにとっては、東北のおじいさんやおばあさんの話で、時どき字幕がほしいぐらい。
日本人のボクからしたら、「同じ国内でも、別の場所に行ったら言葉が通じなくなる」ということが感覚的によくわからない。
でもそんな社会では、共通語として英語が必要となる。
ということで、日本人は英語を話せない理由はなにか?
日本の社会が日本人に対して、英語力を求めていないから。
仕事の面でも生活の面でも、英語が話せなくても問題なく生きていけるから。
英語を身につける必要性が少ないから、英語を学ぶ意欲と動機に欠けてしまう。
決して、頭の問題ではない。
たぶん。
コブラ使いには、英語が話せない人が多いと思う。
日本人と一緒で、そんな必要性がないから。
コブラの気持ちがわかればいい。
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