1963年の9月16日、マラヤ連邦・北ボルネオ・サラワク、シンガポールが合併してマレーシアが成立した。
ということで、今日はマレーシア・デーだでー。
2年後の1965年に、シンガポールがマレーシアから分離独・立離して現在にいたる。
マレーシアの誕生日ということで、今回はこの国と日本との違いを紹介しよう。
日本に住んでいたマレーシア人が感じた大きな違いは、何といっても「多様性」だった。
まずはマレーシアの基本を確認。
面積:約33万平方キロメートル(日本の約0.9倍)
人口:3,270万人
首都:クアラルンプール
民族:マレー系(69.6%)、中国系(22.6%)、インド系(6.8%)、その他(1%)
言語:マレー語(国語)、中国語、タミール語、英語
宗教:イスラム教(連邦の宗教)(61.3%)、仏教(19.8%)、キリスト教(9.2%)、ヒンドゥー教(6.3%)、儒教・道教等(1.3%)、その他
外務省ホームページ「マレーシア(Malaysia)基礎データ」
日本とマレーシアは面積ならだいたい同じでも、位置がまったく違う。
ユーラシア大陸の東の端にある島国の日本では、歴史的に外から人が流入してくることが本当に少なかったし、一度も異民族に支配されたこともない。
そんな歴史は、国内にいる人の95%が日本人(大和民族)という同一性の高さに表れている。
対して東南アジアの“先っぽ”にあるマレーシアには、昔から中国、インド、中東、ヨーロッパからいろんな人たちがやってきたし、イギリスに植民地支配された経験もある。
そんな地理や歴史から、マレーシアはもう多民族国家となることが運命づけられていた。
「みんなが協力すれば成功する!」みたいなことが書いてある気がする。
現地の日本語ガイドの話では、マレーシアでは上のような民族間の協力や団結が最も大事にされている。
というのはその反対、分裂や対立が生み出すのはこの世の地獄だから。
例えば1969年に起きた「5月13日事件」のような。
それまでマレーシア政府は「政治はマレー人、経済は華人(中国系)」という原則で国を動かしてきた。
現実的には経済を支配していた華人には金持ちが多くて、逆に貧困層は主にマレー人で占められていたため、この格差から両者の間には自然と対立が生まれる。
一方、華人はマレーシアの公用語はマレー語だけと定められているなど、マレー人への優遇政策に不満を感じていた。
そんななか、1969年5月10日に総選挙が行われる。
その結果、自分たちの推す政党が多くの議席を獲得したことで、華人はよろこびを爆発させる。
そういう時こそ、空気を読むべきだったのに。
首都クアラルンプールで11、12日に、華人を中心に「勝利」を祝うパレードが行われ、「すべてのマレー人を終わらせる」、「クアラルンプールはいま中国人に属している」といった挑発的なスローガンを掲げたことでマレー人が激怒。
13日にもパレードが予定されていて、そのために集まった華人側とマレー人側との間で争いが始まる。
刃物のパランとクリスで武装したマレー人は、華人の住む地域で車や店を燃やし、殺人や略奪をする。最初の襲撃で少なくとも8人の華人が殺された。
暴動が発生して45分以内には、コントロールできない状態が街中に広がったという。
The Malays, armed with parangs and kris, burned cars and shops, killed and looted in the Chinese areas; according to Time, at least eight Chinese were killed in the initial attack. Once violence broke out, it spread rapidly and uncontrollably throughout the city within 45 minutes,
パラン
このマレーシア史上最悪の民族衝突事件である「5月13日事件」は、196人の死者と439人の負傷者を出す大惨事となった。
これは公式発表で、死者の数には約600人や800人など諸説ある。
ガイドの話では、いまのマレーシアでこんな暴動は起きていないが、民族間での対立や緊張はある。
だから、各民族の調和がマレーシア社会で最も重要になっている。
日本にいたことは民族間の対立なんて聞いたことなかったし、どこに行っても同じ人間が街を歩いているから、民族暴動が起こる気配なんて1ミリも感じなかった。
そのガイドからすると、マレーシア人にとっていちばんの不安や恐怖がまったく無い。
緊張の代わりに、平和な雰囲気に満ちているのは日本のすごくいいところ。
コーヒーとお茶の共通点:聖職者(イスラム教と仏教)の眠気覚まし
コメントを残す