はじめの一言
「日本では、衣服の点では家屋と同様、地味な色合いが一般的で、中国でありふれているけばけばしい色や安ぴかのものが存在しないことにわれわれは気づいた。(オズボーン 江戸時代)」
「逝き日の面影 平凡社」
今回の内容
・シンガポールのデータ。
・The・他民族国家!
・独立の理由
・シンガポールのデータ。
まずはシンガポールという国名の由来から。
一四世紀、インドネシアのスマトラ島からスリービジャヤ王国の王族がマレー半島南端の島に移住したとき、ライオンに似た動物を見つけたため、そこをシンガプラSinghapura(獅子の町)と名づけたと伝えらている。
(地名の世界地図 文藝春秋)
もちろんこれは伝説。
だけど、現在のシンガポールの地名はこの伝説にちなんでつけられている。
そして、写真のマーライオンを生むことにもなった。
この後、スリービジャヤの王族たちは別のところに移住してしまい、シンガプラシは衰(おとろ)えていったという。
現在のシンガポールという国名をつけたのは、イギリス人のラッフルズさん。
その後、一七八六年、イギリスがインドを統治するようになると、イギリスがこの地域でもしだいに優位に立ち、一八一九年、イギリス人のラッフルズが、かつてのシンガプラを買い取り、シンガポールSingaporeとした。
(地名の世界地図 文藝春秋)
このイギリス人ラッフルズの名は、今でも「ラッフルズホテル」にとどめている。
ラッフルズホテルの「有名人」のドアマン
シク教徒のインド人がこの役目を務めるのもイギリス時代からの伝統だ。
シンガポールを旅行していて驚いたことがある。
シンガポールには首都がないという。
首都のない国家が存在するとは!
このときはビックリしたけど、考えてみたらそれほど不思議でもない。
シンガポールは小さい国だから。
東京23区ほどの広さしかない。
シンガポールと東京をかさねると、こんな感じ。
ここでシンガポールについて、基本的なことを確認しておこうか。
下のデータは、外務省のHPにある「シンガポール共和国(Republic of Singapore)基礎データ」にあるもの。
人口
約547万人(うちシンガポール人・永住者は387万人)(2013年9月)
民族
中華系74%、マレー系13%、インド系9%、その他3%
言語
国語はマレー語。公用語として英語、中国語、マレー語、タミール語。
宗教
仏教、イスラム教、キリスト教、道教、ヒンズー教
シンガポールは、まさに他民族国家。
東京23区ほどの土地に、上にあるような民族・言語・宗教が存在している。
シンガポール人の知人がFacebookに投稿した写真。
「Happy Deepavali」と書いていた。
「Deepavali」はインド(ヒンドゥー教)の祭り。
シンガポールにいるインド系の人びとがお祝いをしている。
多民族国家のシンガポールでは、この時期になると街も「Deepavali仕様」になる。
「Happy Deepavali」と投稿したシンガポールの知人は、インド系のではなくて中国系シンガポール人。
中国系のシンガポール人もヒンドゥー教の祭りを祝っている。
シンガポールにはさまざまな民族が住んでいるけれど、うまく共生していることがわかる。
でもシンガポール人に話を聞くと、民族間の争いがまったくないわけではないという。
・The・他民族国家!
前にテレビ番組を見ていて「これが日本では考えられないシンガポールの特徴です!」ということを紹介していた。
それがマンションの部屋のわり当て方。
土地代がメチャクチャ高いシンガポールでは、マンションに住む人が圧倒的に多い。
テレビ番組で紹介していたマンションでは、入居者の構成が政府によって決められていた。
それはシンガポールにいる人種の割合に比例するという。
このブログにそのことが書いてある。
シンガポールの「異人種同士を対立させない政策」とは−糸林誉史「シンガポール・多文化社会を目指す都市国家」
シンガポールには「人種混合プログラム」というものがあるらしい。
1960年に設立された住宅開発庁が、以下の思い切った二つのプログラムで人種間の融和を図っています。
ひとつは、人種混合プログラム。入居時の抽選割り当ての際、団地全体での人種集団別の配分を国内の人種構成比に近づけるという仕組みです。
だから、同じ団地にマレー系だけが固まって住む、などということにはならないのです。
「団地全体での人種集団別の配分を国内の人種構成比に近づける」
こんな発想は日本では考えられない。
さっきのデータの「中華系74%、マレー系13%、インド系9%」からすると、100人の入居者がいたら、「中華系が74人・マレー系が13人・インド系が9人」と政府が決めてしまうことになる。
この「人種混合プログラム」というのは一度中断したらしい。
でもテレビ番組でやっていたから、復活して現在でもおこなわれているのだと思う。
「他民族」というのものそうだけど、マンションに住む人を「人種によって政府が決める」という政府の強制力もシンガポールらしい。
・独立の理由
シンガポールを旅行していて、こんな疑問がうかんだ。
「シンガポールはなんでマレーシアから独立したのんだろう?マレーシアと一緒にいたほうが良かったんじゃないの?」
この疑問を解くカギがマレーシア政府がおこなった「アファーマティブ・アクション」にある。
アファーマティブ・アクションという言葉は、アメリカにもある。
簡単にいえばこんなもの。
アファーマティブ―アクション
(affirmative action)「米国の積極的差別解消策。黒人・少数民族や社会的弱者への差別を実質的に解消するために、大学への優先入学や企業に対する一定数以上の雇用義務づけを行う。
(大辞泉)
マレーシアが成立した1963年のころ、マレーシアにはたくさんのマレー人と華人(中国人)が住んでいた。
マレーシア政府は華人よりマレー人を優遇する政策をとったため、華人の不満が少しずつ高まっていく。
マレーシア政府がおこなったマレー人優遇政策が、「マレーシア版アファーマティブアクション」になる。
マレーシア人に聞くと、この政策によってマレー系の人だけが公務員になることができたらしい。
だから華人は、マレーシアの公務員にはなることはできなかった。
マレー人を優遇するということは、華人からしたら逆差別になる。
「この国は、華人ということだけで生きにくい国なのか。だったら、マレーシアから出て行こう」
これが大きな理由となって、1965年に華人が多くいたシンガポールはマレーシアから分離・独立することになった。
シンガポール、分離・独立
1965 中国系住民の多いシンガポールがマレー人優遇政策に不満を持ち、リー=クアンユーの指導でマレーシアから分離・独立した。
(世界史用語集 山川出版)
シンガポールが独立した後、マレーシア政府によるマレー人優遇政策(アファーマティブアクション)はさらに進んだ。
71年には、「ブミプトラ政策」とよばれる政策ができている。
ブミプトラ政策の考え方は、基本的に「アファーマティブアクション」と同じ。
ブミプトラ政策
マレー語で「土地の子」を意味する。人口の6割以上を占めるマレー系住民の経済的地位を向上させるため、経済、教育、就職面などで優遇する政策で、1971年から始めた。2009年4月に就任したナジブ首相は、非マレー系の中国系などへの配慮から政策の一部見直しに踏み切った。
(2013-07-25 朝日新聞 朝刊 5総合)
シンガポールは、この「マレー人優遇システム」に不満をもって独立にふみきった。
「特定の人種を優遇する」という考え方を嫌ってシンガポールは独立したわけだから、シンガポールの基本的な考え方は「すべての人種は平等」というものだろう。
その考え方から、さっき書いた「マンションの入居者の構成を人種によって政府が決める」という政策ができたのだと思う。
シンガポールといえば、「街がとってもきれい!」ということで有名。
日本に住んでいるシンガポール人にその秘密を聞いたことがある。
すると意外な答えが返ってきた。
「シンガポールも、むかしは汚かったんですよ。でも、リー=クアンユーが1970年代に日本に行ったとき、日本のきれいさに驚きました。それで、『シンガポールも日本のようにきれいな都市にしたい』と思って、それから街をきれいにするようにしたんですよ」
シンガポールのきれいさは、日本をモデルにしたという。
でも、「ゴミを捨てたらすぐ高額の罰金!」という強引なやり方は、日本ばなれしている。
政府の力がとても強いシンガポールらしさがある。
おまけ
シンガポールの歴史
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