ちょっと前、日本で働いているインド2人とお寺に行ってきた。
ということで、今回は「インド人が聞いたらきっと喜ぶだろうなあ」という話をしていきたい。
中学校の歴史の復習を交えながら。
まずは、そのお寺を紹介します。
今回行ったのは、静岡市にある清見寺というお寺。
ここはめずらしく、お寺の目の前を電車が走っている。
明治時代、鉄道をつくるときにカーブにはしたくないということから、お寺の中をぶち抜いてしまってこうなったらしい。
ここは歴史あるお寺のようで、室町時代には雪舟、明治時代には夏目漱石や島崎藤村が訪れている。
ボクがインド人をお寺に案内する時に、よく話すことがある。
「その昔、日本の天皇と同じぐらい尊敬されたインド人がいたんですよ」と。
それが奈良時代に活躍した、インド人の「菩提僊那(ぼだいせんな)」というお坊さん。
このインド人僧の話をしたら、インド人はきっと喜ぶ。
ぼだい‐せんな【菩提僊那】
[704~760]
奈良時代のインド僧。文殊菩薩を慕って中国に渡り、天平8年(736)遣唐使の要請で来日。東大寺大仏開眼供養の導師を務めた。婆羅門(バラモン)僧正。デジタル大辞泉の解説
ここに書いてあるように、この菩提僊那(ぼだいせんな)というお坊さんは、752年に奈良の大仏の開眼供養(かいげんくよう)をしている。
供養して仏の眼を開く儀式をすることで、はじめてその像は霊力をもつ仏像となるのだ。そして日本初の開眼供養がこの東大寺大仏のもの。
この重要儀式で導師をおこなったお坊さんが、インド人僧の菩提僊那(ぼだいせんな)さん。
菩提僊那は高い尊敬を受けて、聖武天皇と同じく東大寺の「四聖」の一人にもなっている。
「東大寺では大仏創建に力のあった良弁、聖武天皇、行基、菩提僊那を「四聖(ししょう)」と呼んでいる。
(ウィキペディア)」
「聖武天皇と同じく、東大寺の四聖になっている」という意味で、このインド人のお坊さんは「天皇と並ぶぐらい尊敬された」とインド人に話している。
インド人が話を聞いて喜んでくれたらそれでいい。
平成25年に天皇・皇后両陛下がインドを公式訪問されている。
そのときインド政府主催の晩餐会で、天皇陛下がこの菩提僊那について触れられた。
宮内庁のホームページから。
貴国と我が国とは地理的に離れ,古い時代には両国の間で人々の交流はほとんどなかったように考えられます。
しかし,貴国で成立した仏教は6世紀には朝鮮半島の百済から我が国に伝えられ,8世紀には奈良の都には幾つもの寺院が建立され,仏教に対する信仰は盛んになりました。
8世紀には,はるばるインドから日本を訪れた僧菩提僊那が,孝謙天皇,聖武上皇,光明皇太后の見守る中で,奈良の大仏の開眼供養に開眼導師を務めたことが知られています。
この時に大仏のお目を入れるために使われた筆は今なお正倉院の宝物の中に伝えられています。
日本とインドの交流を考えた場合、菩提僊那はとても大事な人物だ。
それにしてもこのときの開眼供養で使った筆が、今も正倉院にあるとは!
でも、奈良で売っている「1300年カレー」ってのはやや強引な気がする。
カレーは、釈迦がスパイスを合わせて作った薬膳が始まりだと言われます。東大寺の大仏開眼供養でも、招かれたインド僧 菩提僊那~ぼだいせんな~が薬膳カレーを振る舞っていたとすると、日本で初めてカレーを食べたのは、奈良の人たち…。
“1300年カレー”は、そんな想像をふくらませ、当時の素材で作った創作薬膳カレーです。
この時、清見寺を案内したインド人にもこの話をした。
2人とも、菩提僊那というインド人僧のことは知らなかった。
菩提僊那を知っているインド人には会ったことがない。
話を聞いた感想は、「I am very proud to hear that(それは、ホントに誇らしいな)」というもの。
天皇と並ぶほどの歓迎を受けたということは、インド人としては誇らしいという。
とりあえず、菩提僊那の話をすればきっとインド人は喜ぶ。
これでつかみはOK。
のはず。
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