きのう11月23日は、言わずもがみもがの勤労感謝の日。
このルーツは天皇がおこなう宮中祭祀の中でも、特に重要とされた新嘗祭(にいなめさい)だ。
「嘗(な)める」には文字通り、「なめる、味わう」といった意味がある。
その年にとれた米などの新穀(しんこく)を天皇が神に供えて、自らもそれを食して収穫を感謝するこの新嘗祭は、日本書紀にその記述があって、7世紀に皇極天皇が初めておこなったとも言われているから、およそ1500年の歴史と伝統をもっているのだ。
さらにルーツをたどると、収穫を神に感謝する風習は古代から日本各地にあったから、新嘗祭の起源を弥生時代に求める説もある。
とにかくおそろしく古い。
この祭事の日が戦後「勤労感謝の日」になって、令和のいまでは1年で最後の祝日になり、これが終わると日本はクリスマス&正月モードに突入する。
人間にとって食とは命。
鎌倉時代に起きた寛喜(かんき)の飢饉では、京都や鎌倉に流入してきた人々がそのまま大量の餓死者となって、死臭が家の中にまで入ってきたと藤原定家の日記『明月記』にある。
こ飢饉では餓死寸前の人が妻や子ども、さらには自分自身を売って奴隷状態になる人も多くいた。
科学が発達していなかった時代、新嘗祭のような行事は本当に重要な政治活動だった。
この神嘗祭も神に収穫を感謝する祭。
「神代から今へつながる 変わらない感謝のかたち」というのがまさに日本。
東ヨーロッパからきたリトアニア人と数年前、日本の聖地・伊勢神宮へ行ってきた。
そのとき彼に感想を聞くと、まずここには2千年以上の歴史があって、いろいろな儀式を通じていまでも信仰が生き続いていることがとても印象的だと言う。
彼の話によると、リトアニアでは13世紀ごろに一神教のキリスト教が入ってくると、それ以外の信仰は一切認められず、見つけしだい排除されていった。
具体的にいうと、異教の信仰をもっている人間は強制的にキリスト教へ改宗させたり、それを拒否した者は殺害する。
「汚物は消毒だ~!!」と異教は社会から根絶やしにされ、キリスト教一色に染まった時代が長く続いた結果、いまのリトアニアでは古代の生活の様子が分からなくなってしまった。
キリスト教以前、人びとはどんな信仰や文化をもっていたのか?
その記録は歴史の中に消えてしまったから、リトアニア人の民族的ルーツをたどることができない。
もちろん、完全に100%消去されたわけではないから、古代のリトアニア人が信仰していた神々の名前はある程度分かっているし、その時代の文化や精神を再発見しようとする人もいる。
彼もそんなリトアニア人の”原点”に興味があったから、それを知りたいと思うが、でもそうすると、キリスト教化される過程でいろいろなものが失われて、それを取り戻すことはもうできないと知ってガッカリすることも多い。
その点、日本は違う。
日本には外来宗教に支配されて、それまで広く信仰されていたものが滅殺された歴史がない。
いまでも伊勢神宮には千年以上前の建物や自然が残っていて、それは遺跡ではなく、いまでもそこでいろいろな儀式がおこなわれいる。
精神文化が途絶えずに現代まで続いているから、古代の日本人がもっていた信仰が簡単に分かる。
これと同じことをドイツ人も言っていた。
日本人にとってはあってアタリマエのお伊勢さんも、民族的なルーツをたどることがもはや困難な西洋人からすると、とてもうらやましく見えることもある。
フランスの文化人類学者レヴィ・ストロースはこう言った。
「私がとても素晴らしいと思うのは、日本が最も近代的な面においても、最も遠い過去との絆(きずな)を持ち続けることが出来るということです。私たち西欧人も、自分達の根があることは知っているのですが、それを取り戻すのは大変難しいのです。」
その具体的が新嘗祭や神嘗祭といった祭や伊勢神宮だ。
「勤労感謝の日」にリラックスするのはいいけど、最も遠い過去との絆も大切にしたい。
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