“和解”に1000年かよ 日本にはない西洋史の根深い「宗教対立」 

 

日本と西洋の歴史を比べると、いろんな戦争や政変が起こったり、偉人が現れて国を変えたりすることでは変わらない。
大きな違いは宗教だ。
西洋では宗教に対するこだわりというか、”熱”がかなり高いから、日本ではあり得ないようなことも起こる。

カップルでも友人でも、「無理! もうコイツとは一緒にいられない」と別れを決断する理由として「価値観の違い」はもはや鉄板。
そして、人の価値観・考え方は信じる宗教に大きく左右されるから、相手が異教徒だと、初めから結婚対象にならないことは海外ではアタリマエのようにある。
同じ神を信じる者同士でも、価値観が違えば十分サヨナラの理由になるのだ。

カトリック教会と正教会(ギリシャ正教、東方正教会)がキリスト教の解釈や価値観の違いから、お互いに相手を破門して、東西に分裂したのは1054年のこと。(大シスマ
それから時間が流れて1964年の1月5日、ローマ教皇(パウロ6世)とコンスタンディヌーポリ総主教(アシナゴラス)が会談を行って、やっと和解へと動き出す。
ケンカをしてから握手するまでに、約1000年かかったことになる。
といっても、これには内部からの批判も多かったから、キリスト教の東西分裂を終わらせることはなかった。
カトリック教会と正教会の代表者が1000年前に出した破門を解除して、「より大きな和解を望む」という意思を示しただけだから、本当の和解はこれからの課題になるか、それは永遠に無理かもしれない。
「和を以て貴しとなす」の日本人ならいいんだが、相手と仲良くなることがキリスト教の最重要事項ではないから、「妥協は堕落」と考える人もいて歩み寄りはなかなかむずかしい。

16世紀にカトリックから分裂して誕生し、”絶縁状態”にあったプロテスタントに対してもそうだ。
上の教皇パウロ6世は第2ヴァチカン公会議(1962~65年)で、「カトリック教会が唯一にして聖であり、普遍的なものである」と確認しつつも、プロテスタントとの対話や相互理解を呼びかけている。
パウロ6世はユダヤ教徒やイスラム教徒に対しても、同じ神で結ばれていると言及し、異なる価値観・考え方の人たちとの友好や協調を大事に考えた。
20世紀になるまで、そうした動きが出てこなかったところがカトリックの排他的&独善的なところで、そういう意識はいまでも「唯一にして聖」という部分にあらわれている。

 

さて話は日本だ。
1054年というと日本では、朝廷が後白河天皇サイドと崇徳上皇サイドに分かれて争った保元の乱(1156年)があったころになる。これは白河天皇の勝利に終わり、負けた崇徳上皇方は讃岐へ流された。
このとき相手を倒すために両サイドが武士を利用したことで、武士の存在感や影響力がマシマシになり、慈円は『愚管抄』で保元の乱から「武者の世」が始まったと指摘する。
実際、保元の乱で平清盛が政治の権力を握って、鎌倉幕府が成立する下準備ができたのだから、慈円の見方は正しい。

で、1964(昭和39)年というと東京オリンピックが開催されて、それに合わせて東海道新幹線が開業した年だ。
平安時代に起きた争いがその後もずっと続いて、昭和になってやっと和解に動き出したということは、日本の歴史ではあり得ない。そもそも、千年も続く対立というのが日本では想像できない。
ヨーロッパ人に比べると日本人は宗教に対して情熱も関心も無かったから、宗教が歴史を大きく動かすことも無かった。
西洋史と日本史ではここが決定的に違う。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。