戦後の日本はアジア各国に金銭的、技術的な支援をして発展に貢献してきた。
そんな国際協力について外務省が公開したPR動画のなかに、韓国のソウル地下鉄や浦項(ポハン)製鉄所が出てくることに注目してほしい。
このまえ広島でG7サミットが開かれた際、日韓首脳がそろって韓国人原爆犠牲者慰霊碑を参拝した。
この慰霊碑の参拝は韓国大統領としては初めてで、日本の首相も一緒だったことから、「喜びは言葉で言い表せないほどだ」と韓国原爆被害者協会の会長が感激する。
韓国の歴史学者でソウル市立大名誉教授であるチョン氏がそれにヒントを得たのか、日韓首脳にスバラシイ提案をしているとジャーナリストの黒田勝弘氏が紹介した。
それは、今度は両首脳が韓国の浦項製鉄所(POSCO)を訪れてはどうかというもの。
この製鉄所は日本の支援金や鉄鋼業界の技術協力があってつくられたところで、韓国経済の発展の土台になり、いまでは世界的な大企業になっている。
日韓のトップがPOSCOを訪れたら、「日韓関係にかかわる国民の歴史認識も肯定的な方向に変化するだろう」とチョン氏は話す。
この提案に黒田氏も拍手をおくる。
産経ニュースのコラム『ソウルからヨボセヨ』(2023/6/3 07)
特に韓国側では日韓国交正常化以降の〝近過去〟の日本による協力・支援の事実には目をつぶってきた。尹政権下でやっと歴史認識にも前向きの変化が出始めたか
今度はPOSCO訪問を
韓国が歴史を持ち出す場合、現在からいきなり戦中戦前に飛んで、結局は日本に反省や謝罪を要求する話になってしまう。
両首脳が韓国人原爆犠牲者慰霊碑を参拝した時も、複数の韓国メディアが、次は植民地時代に対する日本の謝罪が必要だと主張した。
こんな感じに戦後の日本が韓国へした支援は、キレイに歴史から抜け落ちている。
チョン氏の考え方はその反対で、(外務省の動画で紹介されたように)日韓経済協力のシンボルになっている浦項(ポハン)製鉄所に両首脳が訪れることで、両国民がキズナの深さを再確認することができる。
日韓の経済的な協力関係はこれからも続ていくだろうから、これはその土台となる未来発展的な発想だ。
韓国は1960年代以降に、経済が右肩上がりに発展していまの経済大国としての地位を築く。
その基盤になった経済成長を韓国の人たちは「漢江の奇跡」と呼んで、誇らしい事実と考えている。
このミラクルの主人公は韓国だ。
でも、日本の協力があったことも忘れないでほしい。
1965年に日韓が請求権協定を結んで日本は韓国へ巨額の経済協力金を渡し、その後もさまざまな技術支援を行った。
「漢江の奇跡」の象徴である浦項(ポハン)製鉄所のほかに、ソウル地下鉄の完成にも日本のサポートがあったのだ。
日本の技術協力により建設され、開業当時の電車は全て日本製であった。地下鉄建設に日本は8,000万ドルの借款を供与し、長期にわたり現地指導、および日本国内研修を実施してきた
ソウル地下鉄の開通式は1974年8月15日に行われた。
この時とても残念なことがあったと、先ほどの黒田勝弘氏がなげく。
地下鉄一号線の建設には日本の経済協力資金が投入され日本の技術者が多数加わったが、完成式に日本人は招かれなかった。こうした韓国に対する過去補償的な日本からの経済技術協力はソウル地下鉄をはじめ韓国発展の基礎になった。しかし、“日本隠し”によってこうした事実は韓国ではほとんど知られていない。残念なことだ。
「‘日本離れ’できない韓国 (文春新書) 黒田勝弘」
8月15日という日本の”敗戦日”に、韓国側が開通式をしたのは偶然のはずがない。
このことは国内初の地下鉄の式典に、韓国側が日本人を誰も招待しなかったことと感情的に結びついている。
この日のために汗水流して協力してきた日本人としては、この仕打ちに悲しい思いをしたはず。
いまの日韓関係はこんな50年前とはまったく違う。
これまで韓国では日本の協力や支援を伝えようとしない、“日本隠し”が行われてきたが、チョン氏は逆にその事実を掘り起こそうとする。
韓国側が歴史の闇だけを取り上げて、反省や謝罪を要求することにいまの日本人は疲れ果て、嫌韓感情も増大して日韓関係はうまくいかなくなった。
尹(ユン)大統領はそのへんを分かっていて「日本はすでに、数十回にわたって歴史問題での反省と謝罪を表明しています」と、もうそんな要求をするべきではないと国民に訴えたはずだ。
韓国が歴史の光の部分にも注目してくれたら、互いの国の印象が良くなって関係もうまくいく。
日韓首脳が浦項(ポハン)製鉄所に行く案を韓国メディアが掲載したことには、韓国世論の変化のきざしを感じる。
「やっと歴史認識にも前向きの変化が出始めた」という期待が絶望へ変わりませんように。
コメントを残す