きょう7月7日は七夕の日。
七夕が近づくと、中国人や台湾人がSNSで「520」という数字を使うことがある。
「なんだろう?」と思ったら、実はこれは「I love you」の意味だった。
*中国や台湾では旧暦の7月7日が七夕の日だから、日本とは1ヶ月ほどずれる。
2023年は8月22日が七夕だ。
「私はあなたを愛しています」を表す中国語の「我爱你(ウォーアイニー)」は、「520(ウ−アーリン)」と発音が似ているからこうなったらしい。
日本では一般的に、ブレーキランプが5回点滅したら「アイシテル」のサインになるのだけど、中華圏では「520」がその役割を果たしていたわけだ。
では、ここで「七夕」の由来を振り返ってみよう。
全宇宙でもっとも偉大な天帝(てんてい)には、織女(しょくじょ)という娘がいた。
彼女の仕事は、神々が着る「天衣」という着物を作ることで、天の川の近くでいつも真面目に働いていた。
天帝は仕事一筋の織女をかわいそうに思って、天の川の対岸にいた牛飼いの牽牛(けんぎゅう)という青年と結婚させることにした。
すると、二人は仕事そっちのけで毎日遊ぶようになる。
その結果、神々の着物はボロボロになり、誰も世話しなくなった牛は病気になってしまう。
天帝はこの状況に怒って2人を引き離す。
そして、元のように真面目に働くことと引き換えに、7月7日の夜だけは二人が会うことを認めた。
つまり、思春期・青年期の男女は適度に遊んでおくことが重要ということだ。
でないとイザという時、周りが見えなくなって一気にのめり込んでしまう。
織女と牽牛の話は出典によって内容が違うけど、愛し合う男女が一年に一度だけ会えるという点では共通している。
だから、いまの中国や台湾で7月7日はバレンタインデーと同じく、恋日たちのロマンチックな日になっているのだ。それなら、SNS上で「520」の数字が飛び交うのもわかる。
ちなみに、中国語ではバレンタインデーを「情人節」(情人=恋人)と呼ぶ。
織女を「織り姫(おりひめ)」、牽牛を「彦星(ひこぼし)」と呼ぶ日本では、七夕は恋人たちが愛を深める日ではなく、主に子供たちが短冊に願いごとを書いて祈る日として親しまれている。
7月7日に中国では、若い女性が手芸や裁縫の上達を祈る「乞巧奠(きこうでん)」という祭りがあった。
この時代は手芸や裁縫のテクがないと、結婚が難しかったというから、こんな日ができたと思われる。
乞巧とは「器用になることを願う」という意味だ。
唐の時代に行われていた乞巧奠が日本にも伝わり、宮中の行事として行われるようになった。
日本では、6月の終わりになると神社で茅の輪をくぐり、半年分の穢れを払って心と体を清浄にする「大祓(おおはらえ)」という風習がある。
茅の輪
この儀式は神道の「穢れと祓い」の考え方に基づいていて、世界でも日本にしかない。
七夕の日に願いごとをする習慣は、手芸や裁縫の上達を祈る「乞巧奠」が元ネタだろう。
上の茅の輪を見ると、両サイドに笹竹がある。
江戸時代になると、人々は自分の願いごとを書いた短冊をその笹竹に飾るようになった。
結果として、七夕は大祓と結びついて「願いごとの日」となったのだ。(七夕)
茅の輪は神道における重要なホーリーアイテムだから、その笹竹は縁起が良いと思われたのだろう。
七夕を祝う風習は中国や台湾、韓国などにあるけれど、願いごとを短冊に書いて、笹竹に結び付けるのは日本だけ。
京都の貴船神社では大祓と七夕の笹竹がセットになっている(ように見えた)。
この人物は、20世紀前半の歴史家の津田 左右吉(つだ そうきち)さん。
津田左右吉(明治6年 – 昭和36年)
津田は日本の文化についてこう述べた。
*支那は中国を指す言葉で、いまでは侮辱語になるから使用はNG。
日本は、過去においては、文化財として支那の文物を多くとり入れたけれども、決して支那の文化の世界につつみこまれたのではない
「支那思想と日本 (津田 左右吉)」
中国から伝わった文化を受け入れつつ、新しい価値観や表現を加えて独自のものにする。
日本人は独創性に欠けているかもしれないが、そんな創造性がある。
七夕の風習からも、そんな日本文化の特徴が見えてくる。
中国文化の日本文化への影響②日本風にアレンジした5つの具体例
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