日本の会社で働いていたインド人男性に、日本の生活について聞くと、彼はこんなことを言いったいた。
「日本にいて困ることは、英語がなかなか通じないこと。で、良いと思うことは、これはとても素晴らしいことなんだけど、宗教の違いをめぐる緊張や対立がないことだね。だから、ストレスを感じることなくリラックスできる。これはインド社会との大きな違いだ」
英語力の低さと宗教への無関心は、わー国の大きな特徴だ。
彼がそんな感想を口にしたのは、日本社会では、こんな惨事が起こる気配がミジンコほどもないからだ。
TBSニュース(2023/08/04)
モスクなど燃やされ…ヒンドゥー教徒とイスラム教徒の対立広がり7人死亡 116人逮捕 インド・ニューデリー近郊
首都ニューデリーの近くで、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒のグループが衝突し、これまでに7人が犠牲になり、116人が逮捕された。
この事件のきっかけは、イスラム教徒の集団が宗教行を行っていたヒンドゥー教徒を襲撃したこと。
これで火がついて、モスクや飲食店が放火されたり、車が破壊されたりする被害が出た。
インドでは、昔からイスラム教徒とヒンドゥー教徒の対立があり、憎悪や敵意が積み重なってきた。
この負の感情は火薬のようなもので、小さな火花があれば一気に爆発して表面化し、激しい衝突がぼっ発する。
2020年にも、イスラム教徒以外の不法移民に市民権を与える法律をめぐって、デリーで両グループが激突し、20人以上が死亡した。
歴史的な背景は「インドの宗教対立」で確認しよう。
数年前の正月に、日本の大学へ通っていたインド人女性と初詣へ行った。
真面目なヒンドゥー教徒である彼女に、仏教という異教の宗教施設へ行くことについて、何か気になることがあったら教えてほしいと聞いてみる。
すると、それは杞憂だった。
彼女の考え方としては、仏教とヒンドゥー教はバラモン教という同じ母体から生まれた兄弟のような関係で、仏教はヒンドゥー教の一部のようなもの。だから、自分が仏像に対して頭を下げ、手を合わせて祈ってまったく問題ないとのこと。
配慮は不要ということなら、こっちはラクで助かる。
初詣の場所は愛知県にある豊川稲荷にした。
すさまじい数の人がいて、なかなか前へ進めなかったが、「インドの祭はこんなもんじゃない」と言う彼女は動じない。
この時彼女は日本に2年間以上住んでいて、すっかり慣れていたから、何かを見て驚くこともなくなっていた。
それでもこれには「あれ?」と違和感を感じたらしい。
「鳥居は神社にあって、お寺にはないと聞いたのですが…」と首をかしげるインド人。
日本人には「神仏習合」という独特の信仰スタイルがあって、仏教と神道の両方を同時に信じていたから、鳥居のあるお寺があってもおかしくないと説明したけど、彼女が納得したかどうかはわからない。
彼女が鳥居とお寺の組み合わせ以上に驚き、「信じられない…」と絶句した光景がこちら。
日本人と外国人のキリスト教のグループがお寺の正門の前で大きなプラカードを持ち、「間違った教えを信じてはいけません。永遠の地獄に落ちてしまいます」と繰り返し訴えていた。
この光景を見たインド人女性が驚いたポイントは2つある。
まず、日本で多数派である宗教を真っ向から否定していること。それと、そこにいたすべての日本人がその人たちの前を素通りしていることだ。
もしインドでイスラム教の集団がヒンドゥー寺院の前で、ヒンドゥー教を否定したとしたらどうなるか?
「想像するだけで恐ろしいですね。その場にいたイスラム教徒とヒンドゥー教徒が衝突して、興奮した人たちが殴り合ったり、建物に火をつけたりするでしょう。それがきっかけになって、各地で同じような暴動が起きて、たくさんの死者やケガ人が出ます」
彼女はインド人については正確に見通すことができたが、日本人についてはそうではなかった。
日本人が宗教に興味を持っていないことは知っていたけど、ここまでの無関心さは想像をはるかに超えていた。
3年間の日本滞在を終えて帰国する際に、印象に残ったことを聞いてみると、彼女はお正月に見たあの光景を挙げた。
インドなら流血が避けられない場面でも、日本では多くの人が静かに流れている。
あれは彼女が日本で見聞きした中で、いちばん大きな衝撃を受けた出来事だった。
日本人の感覚からすると、宗教をめぐる暴動が起きて20人以上が死亡したと聞いたら、このインド人の驚きの大きさがわかるかも。
そんな彼女に冒頭のインドの話をしてみた。
日本の社会には宗教対立がないから、とてもリラックスできるという意見には彼女も完全に同意する。確かに、日本で宗教に関する緊張感を感じたことは一度もなく、聞いたこともなかったと。
彼女としては、日本人の宗教心の無さは気になるところではあるが、ピースフルな社会はとても居心地が良かった。
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