明治の鉄道開通で続出した、日本人らしい忘れ物とは?

 

先週の土曜日、栃木県の宇都宮市で、次世代型路面電車「ライトライン」(LRT)が初めて運行された。
*この乗り物について、くわしい情報は「宇都宮ライトレール宇都宮芳賀ライトレール線」で確認されたし。

8月26日に満を持して開通したら、さっそく9月1日に車がぶつかる事故が発生。
ドライバーが右折しようとしたところ、後ろから走ってきたLRTと衝突した。
といっても、けが人はゼロで、LRTは約50分後に運転を再開したから、まぁ大した事故ではない。
問題は「慣れ」だ。
車を運転していた男性は「入り口が分からず、間違えたようだ」と話し、事故を目撃した人も「間違って進入しやすいのではないか」と言っている。
次世代型の乗り物で、ドライバーには不慣れだった。
1週間で事故が起きた理由もコレだろう。
新しい乗り物が登場すると、どうしてもミスは起こる。

 

 

日本では、1872(明治5)年に初めて鉄道が開業し、新橋駅から横浜駅までの約30kmの距離を、約50分で移動できるようになった。
日本初の乗客は明治天皇(と建設関係者)だったから、鉄道関係者は前日の夜、ほとんど寝られなかったと思われる。
ほんの5年前までは江戸時代で、人々は籠に乗って移動していた時代だった。
当時の庶民は、次世代の乗り物である汽車にまったく慣れていなかったから、ある忘れ物が続出したという。

では、クエスチョン。
そのころの乗客がよく置き忘れてしまった物とはいったい何?
ヒント:日本人

 

 

答えは、下駄や草履(ぞうり)などの履物だ。

日本人の靴を脱いで建物に入る習慣は、明治も令和も変わらない。
21世紀の現代でも、新幹線や飛行機に乗ると靴を脱ぎだす人はよくいる。
明治時代の日本人は汽車に乗り込む際、そこを「室内」と考えたらしく、多くの人が下駄や草履を脱いだ。
だから、汽車が発車すると、駅のホームには、たくさんの靴が並んでいるというアニメみたいな光景が現れた。

「いや、なんで履物を持って入らなかった?」
「それじゃ、駅に到着した時、はだしで外に出ないといけないじゃないか」

「いや、なんで履物を持って入らなかった」
「駅に到着したら、はだしで外に出ないといけないじゃないか」

いまさらそんなツッコミは無意味。
まったく新しい文明を体験したら、ミスをする人が出てくるのは仕方ない。
ただ、そうだとしても、その数が多すぎる。
この場合、汽車に乗るときに誰か1人が靴を脱ぐと、それを見てつい自分も同じことをしてしまったという、現代の日本人に通じる「同調圧力」もあったのでは?
とにかく、日本で初めて鉄道が開通したころの、本当に日本人らしい忘れ物だ。

 

大久保利通が暗殺された「紀尾井坂の変」が起きた明治11年に、イザベラ・バードというイギリス人女性が日本へやって来た。
彼女は、汽車が終点の新橋駅に着いた際の様子を次のように書いている。

「合わせて四百の下駄の音は、私にとって初めて聞く音であった」

日本人も学習し、このころには、ちゃんと下駄を履いて乗車するようになったらしい。

 

イザベラ・バード

 

おまけ

現在の日本人が電車でつい忘れてしまう物は何か?
2015年度にJR四国が発表した「忘れ物白書」によると、

1位:傘類(23.2%)
2位:装身具類(13.2%)
3位:書籍・文房具(同10.6%)

と、やっぱりカサの置き忘れが多かった。
お遍路で有名な四国らしい忘れ物として、「金剛杖」や「袈裟」もあった。
また、電車の忘れ物で「うどん」があったことも、ホントに四国らしい。

現在のJRでは、こうした忘れ物を保管していて、その期間が過ぎると格安で販売することがある。
明治時代、ホームに放置された下駄や草履も捨てないで、駅で売っていたのでは。
公共施設で忘れ物を預かる歴史は古く、日本では「届けられた落し物は役所で1年間保管する」というきまりが奈良時代に制定された。
遺失物取扱所

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。