中国の大連行きの飛行機に乗りんで、自分の座席を見つけて座る。
インドの列車だったらこうはいかない。
インドだと、自分の番号の座席になぜかインド人が座っていて、その人をどかさないといけないことがある。
東南アジアを旅行しているとき、飛行機でもそんなことがあった。
中国人か中国系のアジア人の男が、なぜかボクの番号の座席に座っている。
話を聞いたら、恋人といっしょに飛行機に乗ったけど席が離れ離れになってしまったらしい。
「だからボクの席と君の席を替えてほしい」
とボクに頼んでくる。
「離れ離れって、飛行時間なんて2時間だろ?永遠の別れじゃないんだから、それぐらいガマンしろよ」と思ったけど、席なんてどこでも良かったからその時はゆずった。
日本人のカップルだったら、外国人に席をゆずってもらうことなんて頼まないで2時間ガマンすると思う。
海外に行くと、外国人カップルのいちゃつき度はハンパないとよく感じる。
席に座っていると、CAがイヤホンを配りながら近づいてきた。
*上の写真は別の飛行機のもの。
CAとは言うまでもないと思うけど、カルシウムの元素記号のこと。
そんなワケはなくて、キャビンアテンダント (Cabin Attendant)のこと。
ウィキペディアにはキャビンアテンダントは「和製英語」だと書いてあるけど、友人のイギリス人は、Cabin Attendantでも意味は分かると言う。
ちなみにイギリス人は、キャビンクルー(cabin crew)やフライトアテンダント(flight attendant)と言うらしい。
25年ぐらい前は、「スチュワーデス」を略して「スッチー」なんて呼んでいた。
スッチーとはスチュワーデスの略で、旅客飛行機の客室乗務員のことである。 スッチーは作家(元長野県知事)田中康夫が広めた言葉で1980年代後半から使われるようになる。スッチー
でも今は、スッチーなんてすっかり消えてしまった。
数年前にカンボジアで会った大学生のバックパッカーは、「『スッチー』ってなんですか?そんな言葉を聞いたことがありません」と不思議そうな顔をする。
これはちょっとした衝撃をうけたけど、「昭和は遠くなった」とつくづく思う。
でもその大学生は、ボクが言ったことに衝撃をうけていた。
ボクがWiFiを「ウィッフィー」と呼んだのを聞いて、「えっ?」と言葉をうしなう。
WiFiを「ワイファイ」と読むことは、この大学生から教えてもらった。
でも日本人が生まれて初めて「WiFi」という文字を見たら、「ウィッフィー」と読むのがふつうだと思う。
初めから「ワイファイ」と読む日本人がいたら、その理由を教えてほしいぐらいだ。
スッチー(スチュワーデス)が「CA(キャビンアテンダント)」に変わったのはいつごろかは忘れた。
けどその背景には、ポリティカル・コレクトネス(PA:political correctness)の考え方がある。
人種や性別などの違いによって偏見や差別を招かないよう、政治的に中立的な言葉を使うことをアメリカでこうよぶ。
アメリカでは特にこのポリティカル・コレクトネスについて厳しく、いくつかの言葉が言い換えられるようになった。
その具体例はこんなものがある。
ポリスマン → ポリスオフィサー
キーマン → キーパーソン
カメラマン → フォトグラファー
ポリコレの考え方からすると、「マン(男)」という言葉がマズい。
この考え方が日本にも伝わると、スッチー以外にもいろいろな名称が変わった。
看護婦は看護師、助産婦は助産師、保母さんは保育士、クレヨンの肌色はペールオレンジ、痴呆症は認知症へに言い換えられるようになる。
でもイギリス人に聞くと、イギリスでは「スチュワーデス」という言葉も使うという。
ポリティカル・コレクトネスについて、イギリスはアメリカほどは厳しくないと思う。
ポリティカル・コレクトネスには、「ただの言葉狩りだ」という批判もある。
「障害者」を「障がい者」とひらがなにすることには、賛成と反対の意見がある。「アンパンマン」もポリティカル・コレクトネスにひっかかる可能性があるらしい。
先ほど書いた「マン」がマズいらしい。
20年以上も海外旅行をしていると、いろいろな変化を感じる。
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