前回の記事で書いたように、日本国内でも海外でも旅に出て何かを感じたら、人に伝えたくなる。また、相手から自分の意見を求められて、自分なりの考えを話さないといけなくなる場面もでてくる。
大人になれば、いつも明るく楽しい話をするばかりではなく、ときには、政治、経済、平和といった真面目なテーマで、自分なりの考えを話す機会は来るだろう。
特に、欧米人は、世界で起きていることを話題に出して、相手の価値観や考え方を知りたがる傾向が強い。少なくてもボクの周りの友人に比べれば明らかだ。
そして、その答え次第で、相手に興味をもって、さらに深く話したり、別の話題を振ったりして、相手を知ろうとする。
これはボクだけではなく、外国人の知り合いが多い友人も言っていた。
ただ、ボクが日本で付き合っている外国人が、すべて大学を卒業して高い教育を受けてきた人だから、「知りたい」「聞きたい」という知的好奇心が強いことはその理由にあることは間違いないだろう。
以上、書いてきたことが、前の記事の冒頭の「どこかで、一度、自分なりの平和論、とかまではいかなくても、自分なりの平和についての考えを用意しておいた方がいい」につながる。
もちろん、立派なものでなくて、「自分なりの考え」でいいのだけれど、できれば、聞いた人が「それは当たり前だろう」という常識以上のものがいい。
そうでないと、ボクを含めて英会話サークル全員の「戦争は絶対にいけない。私は、平和を願っている」という意見のように、講師のアメリカ人から「それくらいなら、小学生でも言えるんじゃない?」と、つっこまれるかもしれない。
この考え自体は、非の打ちどころがないほど正しいものだと思う。
けれども、それは常識と言われれば常識で、世界のほとんどの人が等しくもっている考えでもある。だから、その常識に自分の体験か何かのプラスαを加えて、自分なりの意見にするといいと思う。
または、「そうした考えを世界の多くの人がもっているにもかかわらず、世界から争いがなくならない理由を、私はこう考える」というものでもいいだろう。
昨年パリで起きたテロ事件について、周りのイギリス人、インド人、中国人に話を聞いてみたことがある。
みんな、「I don’t know」ですませることも、「テロはいけない。平和を願っている」という一般論で終わることもなかった。
自分なりの「平和論」にもとづいて、その人なりの意見を話していた。
このとき、外国人から話を聞いているときに、日本が国際化の時代に入ったことを実感していた。
ボクが20年前は、外国人と世界情勢を日本のファミリーレストランで話すことになるとは思いもよらなかった。
また、少し前に国際交流パーティーに参加したときには、中学2年生の女の子が一人で、キューバ人に英語で話しかけているのを見て驚いた。
簡単な自己紹介レベルの英語ではあったが、ボクが中学2年生であったら、外国人に英語で話しかけることは考えられなかったし、こんな場所に一人で来ることさえできなかった。
この子のチャレンジ精神を率直にすごいと思うと同時に、 日本の国際化を肌身で感じる機会にもなった。
日本を訪れる外国人の数は年々増加しており、国会では、労働力としての移民の受け入れを検討している。国内の国際化の動きは、これからもますます進んでいくことは間違いない。
外国人と交流することが好きな人には、これからは、いろいろなチャンスが増える。異文化には興味があるけれど、外国に行くのは、治安や言葉の不安があって二の足を踏んでしまうという人には、さらに朗報だ。
自分が行かなくても外国が、向こうから来てくれるのだから。
いつものように、やや脱線してしまったが、外国人と付き合うときは平和に限らず、いろいろなことに対して「私は、こう考えている」と、自分なりの考えを相手に伝えることが、きっと大事になってくる。
今回のブログは、読んでくれた人が、その人なりの「平和論」を用意するためのお手伝いができるかもしれない、と思って僭越(せんえつ)ながら書くことにした。
このテーマに正解はないだろうし、ボクが考えていることも決して「すごい」ものではない。あくまでも「自分なりの考え」に過ぎず、誰かにお伝えすることが、はばかれるようなものでもある。
ただ、ボクがインドや韓国を旅したときに、平和について考えざるを得ないことがあった。以前の記事で、書いたことがこれに当たる。
「イヤなやつの「ムカつく」視点から自分の考えを振り返ってみることで、自分では気づかなかったことに、気づくこともある」
そして、そのことが、それまでボクがもっていた平和観を変えるきっかけなったので、それを紹介したい。
そのことが、これが読者にとって何かの参考になることあるかもしれない。形の悪い小さな石でも、それを投じれば、ちょっとした波紋は広がるだろう。
そんなことを思いながら、書いている。
それと、前回書いてきたように、「誰かに伝えたい」という偉そうな気分も、正直なところある。
次回も読んでくれたら、うれしいです。
ちなみに、インドに行く前にボクがもっていた平和についての考えはこのようなものだ。
「平和の敵は、戦争だ。そして、戦争に『良い戦争』も『悪い戦争』もない。すべての戦争は悪であって、絶対にしてはならない。そして、核兵器も平和の敵で、すぐにでもなくすべきだ。できれば核だけではなく、すべての兵器がこの世からなくなればいい」
この考えが、「インド後」に変わることになった。
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