はじめの一言
(函館での印象)
「健康と満足は男女と子どもの顔に書いてある(ティリー 幕末)」
「逝き日の面影 平凡社」
今回の内容
・日本の宗教対立
・ヨーロッパの宗教対立
・日本の宗教対立
ヨーロッパの宗教改革(16世紀)では、旧教(カトリック)に対して新教(プロテスタント)が生まれた。プロテスタントを始めたのは、ルターというドイツ人で、織田信長と大体同じ時代の人。
日本でも、旧教に対して、新教が生まれて対立していた時代がある。 それが、鎌倉時代になる。
キリスト教の旧教(カトリック)に当るのが、旧仏教。
旧仏教
鎌倉新仏教に対し、南都北嶺を中心とする宗派・寺院をいう。華厳宗・律宗・法華宗などで革新運動が起こり、戒律が重んじられた。
(日本史用語集 山川出版)
この旧仏教の「華厳宗(けごんしゅう)」は、奈良の大仏で有名な東大寺が総本山になる。
で、キリスト教の新教(プロテスタント)に当たるのが、鎌倉仏教。
鎌倉仏教には、浄土宗(法然)・浄土真宗(親鸞)・日蓮宗(日蓮)といった新しい仏教がある。
「新しい仏教が生まれた」ということは、「それまでの仏教には間違いがあった」ということにもなる。
それだけでも、旧仏教の僧侶は面白くないし、その上、信者が新仏教に行ってしまうと、さらに面白くない。
当然、旧仏教と新仏教は対立する。
例えば、浄土宗を開いた法然は、「旧仏教側からの反発を受け、1207年に讃岐へ流された。(日本史用語集 山川出版)」。
讃岐なら、うどんが食べられるから、まだいいかな。
法然が開いた浄土宗というのは、簡単にいえば、「南無弥陀仏(ナムアミダブツ)」と念仏を唱えたら、阿弥陀仏が救ってくれるという教えで、今の日本でもおなじみのもの。 おばちゃんやおじいちゃんが手を合わせて、「ナンマンダブ」と念仏を唱えているのを見たことない?
新仏教で、一番「攻撃的」だったのが、多分、日蓮。
自分が始めた日蓮宗以外の宗派を攻撃した「四箇格言(しかかくげん)」は有名。
「四箇格言」
日蓮が他宗を攻撃するために示した、「念仏無限・禅天魔・真言亡国・律国賊」の言葉。
(日本史用語集 山川出版)
法然は、「波阿弥陀仏」と念仏を唱えたら、救われると教えたけど、日蓮に言わせたら、「念仏(浄土宗)は、無間地獄への法である(無限地獄に行ってしまう」らしい。
他にも、「真言宗は、亡国(国を亡ぼす)の教えである」「真言律宗を含めた律宗は、国賊の教えである」とも言っている。
「亡国」「国賊」という言葉も、今の日本で使われている。
「憲法を変えるべきだ」「いや、変えてはいけない」という人の間や「安保法案に賛成!」「いや、反対!」という人の間でも、「亡国」や「国賊」という言葉が使われている。
日蓮が一番問題視したのは、浄土宗だった。
日蓮が書いた宗教書の「立正安国論(りっしょうあんこくろん)」に、こんな言葉で口撃している。
この国土に災いをもたらす根源である念仏を禁止することこそが、まず第一になされなければならないことです。
「立正安国論 日蓮 (角川ソフィア文庫)」
ちょっと、話はそれる。
日蓮は、この「立正安国論」の中で、浄土宗を批判しているんだけど、その表現が面白くて、個人的に気にいっているものがある。
こんな言葉。
便所に棲む虫はその臭さを感じなくなるというように、その事に染まってしまうと事の善悪が分からなくなってしまいます。
(同書)
浄土宗を信仰して念仏を唱えている日本人は、それに慣れてしまって、「事の善悪が分からなくっている」という状態らしい。
この表現は、いろいろ使えそう。
政治家で、自分の旅行や食事を税金で支払っても、それに慣れてしまうと、事の善悪が分からなくなってしまう。
日蓮の表現を使えば、もう、「臭さを感じなくなった便所にすむ虫」みたいなものなんだろう。
日蓮は、こんな具合に、「他の仏教の教えは間違っている、私の教えだけが正しい」と激しい調子で言っていたけど、それが「いき過ぎ」と感じた鎌倉幕府に処刑されそうになったり、伊豆に流されたりした。
でも、それだけ。
讃岐へ流された法然もそうだけど、日本での「旧仏教と新仏教の対立」・「新仏教間での対立」は、ヨーロッパの宗教改革みたいに、日本中を大混乱させるほどの問題にはならなかった。
大きな騒ぎになる前に、幕府がその人間をどこかに流しにしてしまって、日本史用語集に載るような大きな衝突事件は起きなかった。
この時代の日本での旧教と新教の対立って、そのくらい。
ヨーロッパの対立に比べたら、ほほえましいレベル。
・ヨーロッパの宗教対立
ヨーロッパの宗教争いは、そうはいかない。
前回の記事で書いたけど、カトリック教徒(旧教)は、キリストの像をつくって礼拝することはOKとした。
プロテスタント(新教)は、像をつくって礼拝することは絶対にダメという考えだった。
新教と旧教の対立があっても、日本みたいに、言い争いぐらいで終わっていれば、良かったけど、キリスト教の場合は、それじゃすまない。
宗教改革のときには、ルター派(プロテスタント)は、「聖像をつくって礼拝することは許せない」と、神聖ローマ帝国(ドイツ)の各地で、カトリックの教会を襲った。
教会にあったキリストやマリアの像を破壊したり、祭壇を打ち壊されたりしている。
そのときの様子を描いたのが、下の絵(宗教改革の真実 永田諒一)になる。
この時代のドイツ(神聖ローマ帝国)は、当然現在のドイツとは面積が違う。
現在のオランダ・ベルギー・スイス・オーストラリアなどにまたがる帝国だった。
画像は、「ヨーロッパの歴史 東京書籍」から。
でも、プロテスタントがマリアやキリストの像を破壊したのは、信仰上の理由だけじゃなかったらしい。
この破壊活動には、「人道的」にも許せない理由があったらしい。
この宗教改革のとき、ドイツの あるカトリックの教会が、プロテスタントに破壊された。
その後、教会を修復する作業に取りかかったカトリックの聖職者に、マイアという男はこう言っている。
教会のまわりや、その他いたるところで、ほとんど何ももたない多くの人びとがひどい空腹と窮乏を強いられている。
このような豪華な装飾品があれば、そうしたひとびとを容易に救うことができるのに「宗教改革の真実 永田諒一」
中世のヨーロッパは、「教会は光輝き、民衆は飢えで苦しむ」というような時代でもあった。
民衆の魂を救う神父が豪華な教会に住んでいて、民衆は飢えて苦しい生活をしているのは、人道的にもおかしい。
このマイアの感覚は、現在の日本人でも共感できるはず。
「私は、世界の貧しい人びとを救うために活動しています」と言っている人間が、プール付きの大豪邸に住んでいて、5つ星ホテルを思わせるようなゴージャスな部屋にいるのを知ったら、違和感を覚えるだろう。
単純に、「部屋のそのシャンデリアを売ったら、アジアやアフリカで貧困にある人たちを、何十人、何百人助けることができるんだろう?」と思っても不思議じゃない。
以前の記事で、ドイツの都市で、「プロテスタントの信者が住居の中にマリア像があるのを見て激怒して、それを置いたカトリック信者の大家を裁判所に訴えた」ということを書いた。
このプロテスタントの女性の気持ちとしては、宗教改革のときのルター派(プロテスタン)たちと通じるところがある。
同じドイツでのことでもあるしね。
プロテスタントとしての信仰の在りかたは、大家を訴えた現在のドイツ人も宗教改革のときのプロテスタントも、それほど変わらないだろう。
そんな彼女の信仰からしたら、聖像を認めることはできない立場で、それを「公共の場」に置いたカトリックの大家が許せなかったのだと思う。
16世紀では、焼き捨てていたけど、現在では裁判に訴える。
でも、これはドイツで、ニュースになったくらいだから、この女性の考え方は、極端で、常識からも外れていたんだろう。
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アメリカ人と京都旅行 ~日本人とキリスト教徒の宗教観の違い~ 1~5
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