うざい国には、ワケがある!?バクシーシの意味・ザカートとは?

 

はじめの一言

「話し合うときには冗談と笑いが興を添える。日本人は生まれつきそういい気質があるのである。(ベルク 幕末)」「逝き日の面影 平凡社」

 

IMG_6698

 

今回の内容

・うざい国にはワケがある!?
・イスラーム教徒の義務「ザカート(喜捨)」って?
・「バクシーシ!」という発想
・インドの物乞いにお金をあげるべきか?

 

・うざい国にはワケがある!?

日本人旅行者の間で、インド・モロッコ・エジプトの3つの国が、「商売が強引で、しつこい」ということで、「世界三大うざい国」と言われているらしい。
まあ、話のネタだけど。
この3つの「うざい国」を見て、気づいた。

これって、イスラーム圏の国じゃん!

 

でも、「ヒンドゥー教徒が多いインドも、イスラーム圏なの?」という疑問が浮かぶと思う。
ちょっと説明させてほしい。

まずインドは、イスラーム教徒の数の多さでは世界で3位の国。
日本人の旅行者が旅するインドは、デリーやアグラなどインド北部が多い。
インドのイスラーム教徒は、この北部に集中している。
これはかつてイスラーム教のムガール帝国が、この地を支配していたから。

 

今でも、インド社会にはイスラーム教の影響が見られる。

タージマハル・ラールキラー・ジャーマスジッドといったインドを代表する観光地(世界遺産)は、イスラーム教のムガール時代のもの。
タンドリーチキンは、もとからインドにあった料理ではなくて、イスラーム教徒がインドに持ってきた料理。
「ナン」は、ペルシャ語。

日本人の旅行者が「うざい」という北インドは、こんな感じにイスラーム教の影響を強く受けている。
その意味でこの記事では、インドも「イスラーム圏」としたワケさ。

 

img_8090

カレーとナン

 

「うざい」ということとイスラーム教には、なにか関係があるんじゃないのか?

ということで、イスラーム教と「ウザイ」その関係を考えてみた。

 

・イスラーム教徒の義務「ザカート(喜捨)」って?

イスラーム教徒なら、絶対にしないといけない5つのこと(五行)がある。

イスラム教には「教えの柱」といわれる5つの戒律(五行)があって、これが守れないとイスラム教徒になれませんし、天国にも入れません。

(90分でわかる「宗教」の読み方 かんき出版)

具体的にはこの5つ。

1、信仰告白 2、礼拝 3、断食 4、喜捨 5、巡礼

 

礼拝はテレビや雑誌なんかで見たことがあると思う。

モスク(イスラーム教の礼拝所)のなかで、すし詰め状態でひざをついて並んで座って、メッカの方向に向いて頭を下げるというもの。

断食は「ラマダン」と呼ばれるもので、この1か月間の期間は食事をすることができない。
とはいえ、それは日の出から日没までの間で、日が昇る前や夜は食べてもいい。
夜にたくさん食事をするから、1か月の断食の後には太ってしまうことがあるらしい。
エジプト人からそんな話を聞いた。

 

 

「喜捨」とは「ザカート」と呼ばれるもので、このようなもの。

「定めの喜捨(ザカート)」についてであるが、これは財産のなかから一定の割合(金銀は二・五%など)で徴収され、困窮者や旅行者に支給される。ただし、一定以上の財を持つ者のみが支払う義務を持つ

(聖典「クルアーン」の思想 大川玲子」

「喜捨」は仏教にもある。

タイやラオスなど東南アジアに行った人なら、アジアの人々がお坊さんの鉢にご飯を入れるのを見たことがあると思う。
あれが仏教での「喜捨」になる。

 

SONY DSC

 

タイではこのように良いおこないをすると、来世で良い生活ができると考えられている。
このように善行を積むことを、タイ語で「タンブン(功徳)」と言う。
タンブンの考え方は、タイ社会での常識や行動の基準になっている。

 

でも、イスラーム教のザカート(喜捨)は、この仏教での喜捨とは違う。

喜捨。
すなわち施しは仏教も説いていることだが、イスラム教と仏教で大きく違うのは、仏教の場合、喜捨は義務ではない。
つまり、施しはしたほうがいいけれども、しなくてもかまわない。
これに対して、イスラム教では貧しい人への喜捨は義務であって、これは、イスラム教徒だったら、必ずしなくてはならない。

「イスラム原論 (集英社インターナショナル) 小室直樹」

タイ仏教での喜捨は自由意志であり任意。
自分がしたいと思ったらするし、そう思わなかったらしなくてもいい。

でも、ザカートはイスラーム教徒の義務だから、絶対にしないといけない。
ただイスラーム教ではザカートとは違って、信者が自由意志でする「自由喜捨(サダカ)」というものもある。

このサダカは仏教での喜捨と同じで、本人の意思にまかされている。
してもしなくてもどちらでもいい。

 

IMGP4992

ニカーブを着たイスラーム教徒の女性(イエメン)

 

ザカートは、ある程度お金があるイスラーム教徒にとっての義務だから、必ずしないといけない。
これは、喜捨を受け取る人からすると「当然の権利」として、その喜捨をもらうことになるらしい。
だから、もらう側は堂々としている。

喜捨はあくまでも義務になるのだから、感謝を強制することはできないし、喜捨をもらう側にしても卑屈になる必要はないのである。
もし感謝をするとすれば、それはアッラーの神に対してされるべきものなのだ

(イスラム原論 小室直樹)

 

・「バクシーシ!」という発想

このイスラーム教のザカートの考え方が、イスラーム圏の「バクシーシ」という習慣につながるという。

ところで、このザカートにも弊害がある。
とくに私たちが観光旅行で中東に行ったとき、やたらとお金を要求されることだ。エジプトでは「バクシーシ」といって、子供たちが集まってくる。これも実は「金持ちは施しをしなさい」という喜捨の教えによるものだという

「イスラームの世界 (文春新書)」

 

エジプトを旅していたときに、この「バクシーシ!」という言葉をよく聞いた。
いや、耳にタコができるほど聞かされた。
エジプト人に道案内をしてもらうと、それが終わると「バクシーシ!」とお金を要求されて、道を歩いていただけでも、子どもから「バクシーシ」「バクシーシ」と言ってお金やペンを要求された。

彼ら方したら日本人は金持ちで、そういう人間が「ザカート(喜捨)」をするのは当然という考え方があるから、そが「バクシーシ!」につながる。
特に親切にした場合、この気持ちが強い。

 

ザカートはイスラーム教徒にとっての義務。
だから、仏教徒やキリスト教といった異教徒には関係がないはず。
だけど、このザカートの考え方はイスラーム教の国では常識になっている。

「金を持っている人間が、持っていない人間に出すのは当たり前のことだ!」

 

だから、イスラーム圏の「世界3大うざい国(インド・モロッコ・エジプト」の人たちは、日本人からすると、とんでもない値段を堂々とふっかけてお金を儲けようとするんじゃないかなと思う。

 

また、「金持ち(外国人)は、お金を出すのが当たり前」「自分たちは、もらって当然」という考えがあるから、他の国の人よりも客引きや商売が強引でしつこいのではないか?
お金を要求するときの言いわけも、理不尽でメチャクチャだったりもする。

「なんでこの国には、こんな考え方や常識があるんだろう?」

と考えた場合、その国で広く信仰されている宗教にその理由を求めることは自然なこと。

「世界3大うざい国」の「うざい」には、それなりのワケがあるはず。
そのワケをたどっていったら、ボクの場合、イスラーム教のザカートの考え方に行きついた。

 

IMGP4106

 

ちなみに、ザカートはイスラーム教徒にとっては義務だから、義務をしないと当然、罰を受けることになる。
それは、こんな罰らしい。

その日、〔蓄財した金銀は〕地獄の業火で熱せられ、彼ら〔蓄財して施さない者〕の額やわき腹、背中に焼印を押されるだろう。〔これは汝らが自分自身のために蓄財したもの。だから自分が蓄財したものを〔罰として〕味わうがよい(9章35節)」

(聖典「クルアーン」の思想 大川玲子)」

こわっ!!

 

おまけ

インドを旅すると、旅行者の間で「物乞いにお金をあげた方がいいか?あげない方がいいか?」なんてことを話すことがある。

どっちでも正解。

あげてもあげなくても、どっちでもいい。

ほとんどの日本人はイスラーム教徒じゃないし、ザカートみたいな喜捨の義務はない。
タイの仏教のように、「貧しい人に喜捨すれば、より良い来世を迎えられる」というタンブンの考え方もほとんどないだろうし。
インドで物乞いにお金を渡すかどうは、その人の価値観やそのときの気持ち次第でいい。

 

 

こちらの記事もどうですか?

アメリカ人と京都旅行 ~日本人とキリスト教徒の宗教観の違い~ 1~5

アメリカ人と京都旅行 日本人とキリスト教徒の宗教観の違い 6~11

 

3 件のコメント

  • インドはイスラーム圏なんですか?ムガール帝国だったから、イスラーム圏というわけですか。

  • こんにちは!
    説明が足りませんでしたね。
    すみません。
    加筆しておきましたので、記事をご覧ください。
    また、何か気づいたことがあったら教えてください。

  • コメントを残す

    ABOUTこの記事をかいた人

    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。