日本人がいう「うざい国」の共通点は、イスラム教の影響の強い説

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うざい国にはワケがある!?

日本人旅行者の間では、インド・モロッコ・エジプトの3つの国について、「フレンドリー」というポジティブな見方がある一方で、「商売が強引でしつこい」という悪評があり、「世界三大うざい国」と言われることもある。
もちろん、本当に嫌悪しているのではなく、「ネタ」としてそう呼ぶことが多い。

さて、この3つの国にはある共通点がある。
それは、「イスラーム教の影響が強い」ということだ。

そう聞くと、「インドはヒンドゥー教の国じゃね?」と疑問に思う人もいるだろうから、ちょっと説明させてほしい。

まず、インドには2億人を超えるイスラーム教徒がいて、インドネシア、パキスタンに次ぐ世界第3位の「イスラム大国」という一面がある。

インドでイスラーム教徒は全国に均等に存在しているわけではない。
かつてイスラーム王朝(デリー・スルタン朝やムガル帝国)が支配していた歴史から、インドのイスラーム教徒は北部に多い。

今でも、インド社会にはイスラーム教の影響が見られる。
タージマハル、ラールキラー、ジャーマスジッドといったインドを代表する観光スポットはムガル時代のもの。
タンドリーチキンはもともとインドにあったのではなく、イスラーム教徒がインドに伝えた料理だ。
「ナン」もそうで、これはヒンドィー語ではなくペルシャ語を語源にしている。

そして、日本人がインドを旅行する場合、デリーやアグラなど北部を訪れることが多い。
日本人の旅行者が「うざい」と感じる北インドは、こんな感じにイスラーム教の影響を強く受けている。

その意味でこの記事ではインドも、モロッコとエジプトと並んで「イスラーム教の影響が強い国」とした。

 

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カレーとナン

イスラーム教徒の義務「ザカート(喜捨)」って?

「うざい」という日本人の感覚とイスラーム教には、なにか関係があるのでは?
ふとそんな考えが頭に浮かんで、両者の関係を調べてみたので、これからそれを説明していこう。

全世界のイスラーム教徒には、必ず守らなければならない「五行」がある。
具体的には次の5つだ。

1、信仰告白 2、礼拝 3、断食 4、喜捨 5、巡礼

ムスリム(イスラーム教徒)にとっては義務なので、これをしないと重大な結果を招くという。

イスラム教には「教えの柱」といわれる5つの戒律(五行)があって、これが守れないとイスラム教徒になれませんし、天国にも入れません。

「90分でわかる「宗教」の読み方 (かんき出版)」

 

イスラーム教の礼拝は、テレビやネットで見たことがあるだろう。

モスク(イスラーム教の礼拝所)の中で、たくさんの信者でひざをついて並んで座り、メッカの方向に向かって、両手をついて額を床につけて祈る。

イスラーム教には「ラマダン」と呼ばれる断食月があり、この約1ヶ月間は食事をすることができない。
この期間の礼拝はとくに重要とされている。

ちなみに、断食する時間は日の出から日没までの間で、日が昇る前や沈んだ後は食べてもいい。
以前エジプト人から、夜にガッツリ食べるから、断食月が終わると太ってしまうことがあると聞いた。

 

イスラーム国家のイエメン

 

五行の一つ、「喜捨」はイスラーム圏では「ザカート」と呼ばれ、以下のような内容だ。

「定めの喜捨(ザカート)」についてであるが、これは財産のなかから一定の割合(金銀は二・五%など)で徴収され、困窮者や旅行者に支給される。ただし、一定以上の財を持つ者のみが支払う義務を持つ

(聖典「クルアーン」の思想 大川玲子)

「喜捨」は仏教にもある。

タイやラオスなど仏教の影響が強い国では、人びとが僧が持つ鉢にご飯を入れて、手を合わせる習慣がある。
それが仏教における「喜捨」だ。

タイではこのように「良いおこない」をすると、来世で良い生活ができると考えられている。
タイ語で善行を積むことを「タンブン(功徳)」という。
タイ社会でこの考え方は常識や行動の基準になっている。

イスラーム教の世界でも「ザカート」は善行とされ、死後、天国へ行くにはその行為が大切と考えられている。

 

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タイの朝の光景

 

しかし、イスラーム教のザカートには、仏教の喜捨とは違う意味がある。

喜捨。
すなわち施しは仏教も説いていることだが、イスラム教と仏教で大きく違うのは、仏教の場合、喜捨は義務ではない。
つまり、施しはしたほうがいいけれども、しなくてもかまわない。
これに対して、イスラム教では貧しい人への喜捨は義務であって、これは、イスラム教徒だったら、必ずしなくてはならない。

「イスラム原論 (集英社インターナショナル) 小室直樹」

仏教の喜捨は、信者の自由意思にまかされている。
したいと思った人がすればいいだけだ。

しかし、ザカートはイスラーム教徒の義務だから、絶対にしなければならない。
ただし、イスラーム教ではザカートとは違って、信者が自分の意思でする「自由喜捨(サダカ)」もある。

このサダカは仏教での喜捨と同じく「任意」だから、してもしなくてもいい。

 

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ニカーブを着たイスラーム教徒の女性(イエメン)

 

ザカートは、ある程度お金に余裕のあるイスラーム教徒の義務で、貧しい人はしなくてもいい。
喜捨を受け取る人の感覚では、それは「当然の権利」になるから、卑屈になることはなく堂々としているらしい。

喜捨はあくまでも義務になるのだから、感謝を強制することはできないし、喜捨をもらう側にしても卑屈になる必要はないのである。
もし感謝をするとすれば、それはアッラーの神に対してされるべきものなのだ

「イスラム原論 (集英社) 小室直樹」

「バクシーシ!」という発想

このイスラーム教のザカートの考え方が、イスラーム圏の「バクシーシ」という習慣につながるという。

ところで、このザカートにも弊害がある。
とくに私たちが観光旅行で中東に行ったとき、やたらとお金を要求されることだ。エジプトでは「バクシーシ」といって、子供たちが集まってくる。これも実は「金持ちは施しをしなさい」という喜捨の教えによるものだという

「イスラームの世界 (文春新書)」

 

エジプトを旅していたときに、この「バクシーシ!」という言葉をよく聞いた。耳にタコができるほど聞かされた。

たとえば、エジプト人に道案内をしてもらうと、「バクシーシ!」とお金を要求される。
道を歩いているだけでも子どもたちが集まって、「バクシーシ」「バクシーシ」と言ってお金やペンを要求された。

彼らからしたら日本人は金持ちで、そういう人間が「ザカート(喜捨)」をするのは当然という考え方があるらしい。
それが「バクシーシ!」につながるのだ。

「うざい国」がうざいワケ

イスラーム圏のインド・モロッコ・エジプトを旅行すると、とんでもない値段をふっかけて、それを拒否すると不機嫌になる人と出会うことが多い。

イスラーム教徒にとってザカート(喜捨)は義務で、社会的な常識になっている。
金持ち(外国人)が金を出すのが当たり前で、自分たちはもらって当然だ。
まったく異なる文化圏から日本人が、そんな考え方や態度と直面すると、「めんどうくさい…」と感じるのだろう。
「うざい国」には、それなりのワケがあるのだ。

 

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ちなみに、ザカートはイスラーム教徒にとっては義務だから、それをしないと、このような罰を受けることになるらしい。

その日、〔蓄財した金銀は〕地獄の業火で熱せられ、彼ら〔蓄財して施さない者〕の額やわき腹、背中に焼印を押されるだろう。〔これは汝らが自分自身のために蓄財したもの。だから自分が蓄財したものを〔罰として〕味わうがよい(9章35節)」

「聖典「クルアーン」の思想 大川玲子)」

 

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この記事を書いた人

今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。
また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。

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