インドで平和を考えた⑥「日本の原爆被害者へ黙とうをささげつつも、核兵器をもつ不思議」

 

まず、日本は国として平和をどのように認識しているのだろうか?

それは、日本国憲法の前文と憲法9条を読めば分かるので、中学校で習ったことの復習がてらに、それを見て行きたい。全部は載せられないので、ここでは、憲法9条だけを載せることにする。

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、 国権の発動
たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段とし
ては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。
国の交戦権は、これを認めない。

 

この9条の特徴として、次の3つがあげられる。

「戦争の放棄」、「戦力の不保持」、「交戦権の否認」だ。

この場合の「『戦力』や『交戦権』とはなにか?」といった細かい語句の解釈につては、ここでは触れないから、興味のある人は各自で調べてほしい。学者や政治家といった専門家でも、意見が分かれている。

ボクがインドに行く前にもっていた平和の認識は、この憲法9条の影響をかなり受けたもので、大むね、以下のようなものだった。

 

「平和の敵は、戦争だ。そして、戦争に『良い戦争』も『悪い戦争』もない。すべての戦争は悪であって、絶対にしてはならない。核兵器は、すぐにでもなくすべきだ。核だけではなく、すべての兵器がこの世からなくなればいい」

 

国や宗教によって価値観や考え方が違うことは当然だろうが、個人の自由や人権の尊重といった人類全体に通じる普遍的な考え方もある。

「平和も求める」ということも、世界のどこでも通じる普遍的な考えだろう。誰でも戦争ではではなく平和を求めているはずで、人々がそう思っている限り、この考えは絶対に正しいと思っていた。

 

この認識が、今は少し変わった。

その変化のきっかけをくれたのがインドでの旅だ。
以前、「世界で日本とインドだけが行っていること」という記事を書いた。

世界では、日本とインドだけが国会で議員が、広島と長崎の原爆被害者への黙とうをささげている。
このことを知ったときは、本当に驚いた。被爆国の日本がするのは当然としても、何でインドでもしているのか?

そして、同時に、疑問というか不信感が湧いた。

 

日本で議員が犠牲者に黙とうをささげるのは、「世界で再び核兵器による被害を出さない」という決意の表れでもあり、その考えの考えが「非核三原則」につながっていると思う。

つまり、被爆者に黙とうをささげることと非核三原則の考え方は密接につながっている。

これがインドはまったく違う。

インドでも、国会で議員が核兵器の犠牲者に黙とうをささげているが、核兵器を持っている。黙とうをささげているということは、核兵器による犠牲者をもう出さないことを願っているのだろう。

そういう考えを持っていながら、核兵器を開発してそれを保有し続けているということは、考えていることと実際にやっていることが矛盾しているように感じて、これが先ほど言った疑問や不信感になった。

このインドの態度は、非核三原則を絶対に守る、それを国是としている日本と正反対だ。

 

しかも、インドを旅して何度も「これはおかしいだろう」思ったことが何度もある。「核兵器を開発する前に、国内でもっと時間と費用をかけて解決するべき問題があるだろう」ということだ。

 

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コルカタというインド有数の国際都市には、物乞いがあふれていて、街を歩いていると突然Tシャツをつかまれてお金を要求されたり、ずっと後をつけられたりされた。

また、国内にある物は質が悪く、爪切りを買うときに店のおじさんから「これはグッドだ」と、すすめられた爪切りでも爪を「噛む」だけでなかなか切ることができなかった。

インドをちょっと旅しただけの勝手な感想であるはが、「核兵器を配備する代わりに、福祉政策に力を入れて路上にいる物乞いを減らしたり、インド人が使う日用品の質の向上を図ったりすることに費用や時間をかけるべきだ」ということを強く思った。

 

国会議員が日本の犠牲者に黙とうしている行為と国内のこうした現状を考え合わせると、核兵器を保有しているという事実は、まったくつじつまが合わない。

国会で、広島と長崎の原爆被害者への黙とうをささげているのは世界で日本とインドだけと書いたが、黙とうをささげつつ、核兵器を保有している国は世界でインドだけだ。

こうしたことが、ボクが「何でインドは国内の問題が山積しているのに、核兵器という日本にはないような『ぜいたく品(余分な物)』を持っているのか?」ということを考えるきっかけとなった。

 

このことが、前の記事で書いた「自分と似た価値観や考え方の中にいては、自分はなかなか変わらない」ということや「自分の価値観や考え方を変えるのは、自分とは合わないムカつく考え方や視点に接したときだ」という記述につながる。

これが、「平和が一番大事なのだから、核兵器は絶対に必要ない」というボクと同じような価値観をもっている人間と接していたら、共感を抱いて心強く感じるだろうが、改めて自分の考えを振り返る刺激にはならず、自分の考えが変わることも当然、なかったはずだ。

 

この「インドの矛盾」については、以前記事で書いてきた(インド人「戦争はしてはならない。だから核兵器は必要なんだ)から、ここでは、そのときに書かなかったインド人の言葉を紹介したい。

「今のインドから核をなくことなんて考えられない。そうしたら、平和が訪れるどころか、大混乱が起こるさ」

というものだ。核兵器があれば、核兵器を使う可能性があり、危険だとボクは思ったのが、彼は核兵器がなくなることの方が、平和にとって危険なのだという。

その真意を次回の記事で紹介する。

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。