はじめの一言
「実際的農業において日本人は驚くほど巧みです。そして、私達が見倣ってもよい数多くの方法や習慣を有しています。他のどんな国に行っても一エーカー当たりの食糧生産量において、また雑草の少なさにおいて、土地が世代から世代へと肥沃さを完全に維持することにおいて、あるいは、理解力のある旅行者の目を魅了することにおいて日本の田畑以上の田畑は見つかりません。
(ウィリアム・クラーク 明治時代)」
「日本絶賛語録 小学館」
*「少年よ、大志を抱け」という有名な言葉をいったアメリカ人
*この記事は、「タージマハルを知りましょ① 目的とは・世界の評価・インドの歴史」の続きです。
今回の内容
・イスラーム教とヒンドゥー教の「お墓」の違い。
・イスラーム教徒の支配
・イギリス支配
・「傾国の美女」
・イスラーム教とヒンドゥー教の「お墓」の違い。
最愛の妻がまさに亡くなろうとする寸前、ムガル帝国の皇帝「シャージャハーン」は、こう言ったという。
お前にかえてどんな皇妃も迎えはしないし、お前の他にどんな女も私の心に住ませはしない。
また、この世でいちばん美しい棺のなかにお前の亡骸をいれ、後々の世まで誰ひとりいまだ他で目にしたことがないような大理石の美しい墓廟の中に葬ってやろう(タージマハル物語 渡辺建夫)
妻への誓いを守るために、「世界で最も大きく美しいお墓」と言われるタージマハルがつくられることになった。
ちなみにシャージャハーンとは、「世界の王」という意味だそうだ。
ただ実際に、その愛の誓いを実現させたのは、おどろくほど多くのインド人と気の遠くなるほどの年月だった。
翌年一六三二年、かつてない壮大な墓廟の造営に着手する。
常時、工匠、職人、工夫らが二万人投じられ、完成までに二十二年の歳月が費やされた。
こうして出来あがったのが、’大理石の夢’と形容されるタージマハルである。(タージマハル物語 渡辺建夫)
皇帝はイスラーム教徒だったけど、タージマハル建築に汗を流した多くの人は、異教徒のヒンドゥー教徒だったはず。
中には、こんなことを思ったヒンドゥー教徒もいたんじゃないかな?
「こんなに大きなお墓を建てて、バッカじゃねえの?」
なぜならヒンドゥー教徒はお墓をつくらない。
死んだら遺灰をガンジス川に流して、それでおしまい。
ヒンドゥー教ではお墓はつくりません。
すべて火葬して、灰にしてガンジス河に流してしまいます。火葬してガンジス河に流すと、その瞬間に天国に行くと考えられているからです。(インド流 マルカス)
ヒンドゥー教徒には、お墓を建てるという発想がないし、タージマハルのような巨大な墓を建てることを当時のヒンドゥー教徒はどう思ったんだろう?
雨季のガンガー(ガンジス川)
もちろん17世紀のヒンドゥー教徒の気持ちは分かるわけがない。
でも、現在のヒンドゥー教徒の気持ちなら分かる。
デリーでボクがインド人と話しているときに、こう言ったことがある。
「タージマハルは、イスラーム帝国のシャージャハーンが建てたムスリム(イスラーム教徒)の建築物だよね」
すると彼はそれを否定する。
「それは違う!あれを建てたのは、ヒンドゥー教徒だ!ムスリムの皇帝は、ただ命令しただけだ」
まあ、その気持ちは分かるけど、そんな論理は通じない。
「大阪城を建てたのは、豊臣秀吉ではなくて、大工だ!」と言っているようなもの。
でもタージマハルが「イスラム教徒の建築物」と言ったのは、確かに間違いだったと思う。やっぱり、インド文化とイスラーム文化の融合と言った方が良かった。
・イスラーム教徒の支配
これだけの人や年月をかけて築かれたタージマハルには当然、想像できないほどのお金もかかった。
タージ・マハル建設にどれだけの費用がかかったかは明らかではない。宮廷史家アブダール・ハミード・ラホーリーは著書『皇帝行伝(パードシャー・ナマ)』にて500万ルピーと記しているが、その他にも980万、1850万、4000万ルピーという説もある。
(ウィキペディア)
でもボクが話を聞いたインド人は、これを好意的に評価していた。
「タージマハルはいいさ。ムガル皇帝は、建築にかかわったたくさんのインド人にお金を払ったから」
彼はタージマハル建設を、「公共事業」としてとらえていた。
古代エジプトのピラミッド建設のようなものだろう。
ムガル皇帝は、インド人から税を取ったけど、工事に関係したインド人に工賃として「返して」いる。
イタリアのサンピエトロ大聖堂を建てたときのように、免罪符を販売するという「霊感商法」で、カトリック信者からお金を「だまし取って」、建築費を集めたということもない。
・イギリス支配
そんな彼にとって許せないのはイスラーム教徒によるインド支配ではなくて、イギリスによるインド支配だった。
「イギリスはインドのためには、何もしなかった。ただインドから財宝や金を奪っていっただけだ」
ヒンドゥー教徒にとっては、異教徒になるムガル帝国では、インドからお金を集めて、インドの中で使っていた。
これならまだいい。
イギリスはインドで集めたお金をイギリスへ持ち出していたことになる。
世界の大英帝国はこうしてできていた。
こんな話をインド人から聞いたのは、もう何年も前のことだけど、最近(2016.04.21)に、こんなCNNの記事を見た。
(CNN) 英王室所蔵の冠に飾られている巨大ダイヤをめぐり、インドから返還を求める動きが出ている問題で、同国政府は21日までに返還に向けた「あらゆる可能な努力」を行っているとの立場を改めて示した。
このダイヤは「光の山」を意味する「コーイヌール」という名で呼ばれ、大きさは105.6カラット。
英王室によればインドのゴルコンダ鉱山で掘り出され、その所有権は「ムガールの王子たちやイランの戦士たち、アフガニスタンの支配者やパンジャブのマハラジャたち」を経て、1849年に英国に移ったという。
その後、ブリリアントカットに再カットされ、現在では皇太后の冠に飾られてロンドン塔で展示されている。
現在のインドでは、かつて植民地支配していたイギリスがインドから「奪った」物の返還を求める動きがある。
これは日本にとっても、対岸の火事ではない。
同じように、 韓国も日本に文化財の返還を要求している。
・「傾国の美女」
いずれにしろ、ムガル皇帝は、愛する妻のお墓のためにお金を使い過ぎてしまったことは間違いない。
そのことがその後、ムガル帝国が傾いた(弱くなった)原因の一つにもなっている。
中国風に言えば、「傾国の美女」といったところだろう。
中国(唐)の楊貴妃(ようきひ)も、そのあまりの美しさに皇帝が愛しすぎて、国を傾けてしまったほどだったいう。
ムムターズマハルも「インド版・傾国の美女」になる。
唐の時代の美女
多分、楊貴妃もこんな感じだと思う。
というより、ほおのふくらみが「平安美人」に似次回へ続く。
今度こそ、タージマハルの中に入ります。
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