イスラム教徒はお酒を飲むことができない。
それは聖書のクルアーンに、アルコールとギャンブルは「忌み嫌われる悪魔の業」と書いてあり、禁止されているから。
くわしいことはこの記事を。
イスラム教の禁酒は日本で広く知られていると思うけれど、アメリカはどうだろう?
100年ほど前、アメリカでも飲酒が禁止された時期があったのだ。
アメリカではとても有名なことで、一般知識として覚えておいて損はないから、今回はアメリカの禁酒法について書いていこう。
1920年代のアメリカ経済はまさに絶好調。
第一次世界大戦でヨーロッパ諸国が疲弊し、アメリカの競争力が相対的に上昇したことなどで、アメリカ経済は黄金期を迎え、フーヴァー大統領は「われわれは貧困に対する最終的勝利に近づいている」と演説し、この時代のアメリカを「永遠の繁栄」と表現した。
第一次世界大戦(1914年~1918年)でヨーロッパが大ダメージを受けたことで、自国が繁栄したという背景は日本も同じ。
大正時代には、急に金持ちになる「成金」という言葉が広く使われるようになった。
1920年代のアメリカ社会のキーワードは「大量生産・大量消費」で、その象徴となるものに「組み立てライン方式」がある。
これは「自動車王」と呼ばれたフォードが始めたものだ。
ベルトコンベアを導入し、流れ作業で自動車をどんどん生産することができた。
しかし、フォードをはじめ、工場の経営者たちは「労働者がまともに仕事をしてくれない!」ということに頭を悩ませていた。
当時のアメリカの労働者には、意欲や規律というものがほとんどなかったらしい。
遅刻欠勤は当たり前で、なかには、仕事中にビーチに遊びに行ってしまうような労働者もいた。それを助長させていたのが酒だ。
酒を飲むと労働者が仕事をしなかったり、仕事の能率が落ちてしまったりするが、経営者が
労働者に酒を飲ませないようにするのはムリ。
そこで、工場の経営者たちはは「社会から酒をなくすしかない!」と考え、政治家に禁酒法を成立させるように働きかけた。そして彼らの思惑通りにことが進んだ。
この法律について、高校世界史ではこうならう。
禁酒法
アメリカ合衆国における酒類の製造・販売・運送を禁じた法律。
禁酒運動は宗教的な意味と、労働者の規律や生産効率向上を狙う経済的な意味を持つ。
1919年に憲法を修正して成立したが、酒の密造・密売の横行を招いたため、33年に廃止された。「世界史用語集 山川出版」
この説明には禁酒法が生まれた理由として、「宗教的な意味」と「経済的な意味」があると書いてある。この記事では後者を取りあげる。
自動車王のフォードのほかにも、発明王のエジソンも禁酒法を望んでいて、彼は禁酒法の成立を支援する映画まで制作した。
アメリカ社会の「2人の王」が働きかけて禁酒法は成立した。その法が施行されて、アメリカ社会はどう変わったのか?
エジソンは手記によると、それまでは月曜になると社員の妻たちが自分のところへやってきて、金曜にもらったばかりの給料を夫が全部、酒に使ってしまったと私に泣きついたのに、禁酒法が成立したおかげで、みんなその悩みから解放されたと。
しかし、禁酒法は結局は失敗する。
すでに酒の味を覚えていた人たちが、酒をあきらめることは不可能で、酒の密造や密売の横行を招いてしまう。これでは、酒を禁止した意味がない。
事態はむしろ悪化し、1933年に禁酒法は廃止された。
禁酒法が廃止される4年前の1929年、アメリカではとんでもないことが起きている。
世界恐慌が始まったのだ。
世界一の債権国アメリカの経済破綻が資本主義各国に波及しておこった大恐慌。その破綻の背景としては、購買力と比較しての過剰生産と投資拡大があった。
「世界史用語集 山川出版」
これはアメリカだけではなくて、世界にとっての非常事態。
この世界恐慌は1929年、ニューヨークのウォール街で株価が大暴落した「暗黒の木曜日」から始まっている。
この記事のはじめにフーヴァー大統領が「永遠の繁栄」を宣言したと書いた。
それは、1929年の3月のこと。
「われわれは最終的勝利に近づいている」と演説した同じ年に、アメリカ経済は崩壊してまったのだ。
「おごれるも者久しからず」という平家物語の言葉どおり。
「永遠の繁栄」の7カ月後、アメリカには失業者やホームレスの人たちであふれた。
ケインズは「国家的自給」の中でこう言っている。
グローバルでかつ個人的主義的な資本主義は成功ではなかった。
それは知的でなく 美しくなく 公正でもなく 道徳的でもない。
そして善をもたらさない
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