突然ですが、あなたはどちらの考え方が正しいと思いますか?
・どんな人間にも善意は通じる。だからあきらめないで、粘り強く善意の心で相手に対応するべき。
・善意が通じる相手と通じない相手がいる。善意が通じない相手にやさしさを見せるべきではない。
ボクは後者です。
今まで出会ってきた人を振り返ってみると、善意が通じる人が多かったけれど「コイツにはムリ」という人もいた。
世の中のすべての人間が、善意には善意で応えるわけではない。
やさしさや善意を利用したり裏切ったりする人もいる。
もちろん、これは個人的な経験。
でも、すべての人間に善意が通じるなら、この世界はもう少しはマシになっているとは思う。
どちらの考えが正しいと思うかは個人の自由。
でも中国人なら、後者を選ぶだろう。
小学校の教科書に「東郭先生( とうかくせんじょう)」という話があるぐらいだから。
この東郭先生の「先生」は、「ティーチャー」ではなくて「ミスター(~さん)」という意味。
「東郭先生」はこんな内容の話。
むかしむかし、中国に東郭という農夫がいました。
ある日、東郭さんは寒さに震えているヘビを見つけました。
「かわいそうに」
そう思った東郭さんは、そのヘビを胸に抱いて温めることにしました。
すると、そのヘビは東郭さんにかみつきました。
東郭さんはヘビの毒で死んでしまいました。
この童話では、こんな教訓を伝えている。
朝鮮日報のコラム(2017/07/23)から。
毒ヘビと知らずに抱いたのだとしても愚かなことだが、毒ヘビと知っていて抱いたのなら、相手の本質を把握できない無知な人間にすぎない、という教訓を伝える。ヘビではなくオオカミになっているバージョンもある。
東郭さんが相手を知らずに愛情をかけたのなら、それは愚かだ。
相手(毒ヘビ)のことを知っていて愛情をかけたのなら、それは無知だ。
どっちにしても、東郭さんの善意ある行為を否定している。
こんなことを小学校で教えている中国で、「すべての人間に善意は通じる」なんて考えは非現実的で非常識だろう。
この毒ヘビのように誠意や善意が通じない相手を信頼してしまって、結果的に大変なことが起きた例が世界の歴史にある。
たとえば、ヒトラーを信じたネヴィル=チェンバレンの失敗だ。
ネヴィル=チェンバレンはイギリスの首相(在位1869~40)をしていた。
1938年のミュンヘン会談のとき、チェンバレンはヒトラーに対して、ヒトラーが出した要求をほぼすべて認めてしまった。
チェンバレンは、それで戦争を避けることができると考えたから。
これを宥和(ゆうわ)政策という。
このことをイギリス人の視点から見てみよう。
「あらすじで読む英国の歴史 (ジェームズ・M・バーダマン)」にはこう書いてある。
外交官たちは、可能な限り争いを避けようとしていたのです。そうした宥和政策の典型は、1938年のネヴィル・チェンバレン首相とヒトラーとの会談でした。ヒトラーに譲歩すれば、ドイツはこれ以上領土を要求することはなくなるだろうと見込んだチェンバレンは、彼の要求のほとんどすべてを容認したのです
「要求を認めれば、ヒトラーはこれ以上何もしない。戦争をやらずにすむ」
ネヴィル・チェンバレンはヒトラーを信じて、その要求をのんだ。
その結果、どうなったか?
第二次世界大戦がはじまった。
6カ月後、ヒトラーはこれを破棄し、チェコスロヴァキア全土を占領したのです。イギリスはすぐさま再武装し、ヒトラーに対抗する国々と同盟を結び始めました。最終的にイギリスはフランスを含めた連合国軍に参加し、のちにそこにはアメリカ合衆国とソビエト連邦が加わりました
「あらすじで読む英国の歴史 (ジェームズ・M・バーダマン)」
著者のイギリス人は、ネヴィル=チェンバレンをこう評価している。
就任後の外交面では弱腰な姿勢が目立ち、宥和政策を敢行(かんこう)したことがかえってヒトラーを増長させ、結局第二次世界大戦を誘引(ゆういん)することになったのです
チェンバレンは平和主義者だった。
戦争を避けて平和的な解決を求めたことが、結果的として、第二次世界大戦を引き起こす原因になってしまった。
第二次世界大戦は世界が経験した最大規模の戦争で、被害者の数は5000万〜8000万人とされる(ウィキペディアから)。
「平和主義者が人類最大の戦争を招いてしまった」というのは本当に皮肉だ。
チェンバレンの考え方は基本的には正しいけど、信じた相手はヒトラーだ。
毒ヘビに善意や誠意を期待してはいけなかったのだ。
その点、チャーチルは違った。
チャーチル
イギリス保守党の首相(在位1940~45、51~55)。早くからナチスの強大化を警戒し、宥和政策を批判していた。1940年5月、チェンバレンにかわって首相に就任、ローズヴェルト・スターリンとともに連合国の指導者として活躍した。
「世界史用語集 (山川出版)」
チャーチルは平和的な解決を求めるチェンバレンに反対していた。
ヒトラーにそれは通じないと分かっていたから。
ヒトラー相手に平和主義でのぞめば、結果的に多くの人が犠牲になることが分かっていたのだろう。
チェンバレンの宥和政策を批判して、チャーチルは早くから「戦争を始めるべきだ」と主張していた。
ニューズウィーク誌(2016/2/2号)に、チャーチルについて書いたコラムがのっている。
「独裁者から世界を救った名宰相チャーチルの死」というコラムのなかから、チャーチルを評価している部分を抜き出してみる。
39年、ヒトラーが率いるナチスドイツがポーランドに侵攻して大戦が始まると、チャーチルは首相に就任。チェンバレン前首相の宥和政策を退け、勝利に向け全力で戦うことを誓った。
彼の名は英語が話され続ける限り生き続ける。ウィンストン・チャーチルは史上最も偉大なイギリス人だったと言っても過言ではなく、言うのに早過ぎるということもない。
人が死ぬのは人々の記憶から忘れられたとき、という言葉がある。チャーチルは死半世紀がたつ今も、イギリスだけではなく世界中から愛され尊敬されている。
これが日本だったらどうだろう?
「宥和政策を退け、勝利に向け全力で戦うことを誓った」というのは、「平和的な解決をやめて戦争を決意した」ということになる。
「絶対に戦争は反対。何とかして平和的に解決するべき」と考えている人には、受け入れられないだろう。
でも世界の人たちは、戦争を始めたチャーチルを深く尊敬している。
「ヒトラーという毒ヘビに対しては、平和的な解決は無意味だった」ということを知っているから。
それにもっと早くドイツとたたかっていたら、あれほど多くの人が死ななくてもすんだ。
「東郭先生( とうかくせんじょう)」の話に戻る。
「かわいそうなヘビに同情してやさしさを見せたら、ヘビにかまれて死んでしまった」
日本の昔話だったら、きっとこんな最後にはならない。
日本の童話や小学校で教える話なら、善意で接した人間が残酷な死に方をすることはない。
善意には善意が返ってくるような、温かい終わりになるはず。
でも世界の他の国だったら、中国と同じような終わり方が多いと思う。
日本人と外国人とでは、考え方が違うから。
いくら東郭さんが優しい人でも、相手を知らずに愛情をかけたのならそれは愚か。
相手のことを知っていて愛情をかけたのなら、それは無知。
そう教える国のほうがきっと多い。
日本なら歴史の授業もきっと違う。
生徒に対しては、平和的な解決を求めたチェンバレンをもっと評価して、戦争で解決しようとしたチャーチルには否定的に伝える。
学校のことなら多少は知っているから、それは間違いないと思う。
外国人と話をしていて、考え方の違いを感じることがある。
人には善意の心で接するべき。
問題が起きたら、争いを避けて話し合いなどの平和的な解決で解決するべき。
基本的にはそれ正しい。
でも、「どんな相手にも善意の心で」とか「争いは絶対に避けて、最後まで平和的な解決を求めるべき」となると、それは非現実的だ。
ネヴィル=チェンバレンはそれで失敗している。
ヒトラー相手に平和主義でのぞんだ結果、なくなる必要のない命までなくなってしまった。
ポル=ポト相手にも平和的な解決は無理。
ベトナム軍が軍事侵攻することで、カンボジアの人たちは虐殺から解放されている。
でも日本では、「どんな相手にも善意の心で~」とか「最後まで平和的な解決を~」と考えている人がたくさんいるように思う。
子どものころから聞いている話や歴史で習う内容が、外国とは違うせいなのかもしれない。
こちらの記事もいかがですか?
イギリスがドイツに対して強硬にでなければ、ドイツがソ連とつぶし合ってもっと平和な世の中になっていたかもしれない。
スターリンの最悪の虐殺も起こらなかったかもしれない。
どうですかどっちが正解だったかは相当難しいですよ。
コメントありがとうございます。
ミュンヘン会談のときに宥和政策をとらずに、ヒトラーの侵略の意図を見ぬいてドイツをたたいていたら、第二次世界大戦は起きなかったでしょう。
チャーチルはそれを主張していました。
チェンバレンとチャーチルのどちらが正しかったか?
「チャーチルが正しい」以外の意見を聞いたことがありません。
スターリンの虐殺は第二次世界大戦後に起きたもので、ソ連の国内問題です。
ミュンヘン会談と結びつけるのはむずかしいですね。
チャーチル、ルーズベルトを批判している文献としては「ルーズベルトの戦争責任」がありますね。
共産主義と手を組んで、反共の砦である日独をつぶした大罪として
結局ルーズベルトがドイツのポーランド侵攻を断固として否定したため第二次大戦がはじまったわけですから
すいません「ルーズベルトの開戦責任」の間違いです。
スターリンやルーズベルトと拡大していくとポイントがボケてしまいます。
この記事での論点は1つです。
チェンバレンの宥和政策が正しかったか?
「ドイツと戦うべき」と主張したチャーチルが正しかったか?
それだけです。
「チャーチルよりチェンバレンが正しかった」という主張があれば、それを教えてください。
ドイツの主張はもともとドイツ領だったダンツィヒを取り返そうというもので、現在の日本で言えば北方領土を取り返そうという主張です。これをかたくなに連合国が拒んだため第二次世界大戦となってしまったわけです。
もし、ドイツが2正面作戦でなければソ連に勝ったかもしれません。
それで、共産主義による第2次大戦の何十倍にも上る後の一般人の虐殺もなかったのかもしれないのです。
どちらが正しい選択だったかは非常に難しい問題と言えます。
くり返しになりますが、この記事での論点は1つです。
チェンバレンが正しかったか?
チャーチルが正しかったか?
私は「チャーチルが正しかった」以外の意見を聞いたことがありません。
「チェンバレンの方が正しかった」という意見があったら、とても貴重なのでぜひ知りたいです。
>どちらが正しい選択だったかは非常に難しい問題と言えます。
この問題については、「チャーチルはチェンバレンの方が正しかった」というのが世界の答えですよ。
他の問題については分かりませんけどね。
だから「ルーズベルトの開戦責任」がそれになります。
チェンバレンが正しかったとしています。
つまり、主張としてはドイツを敵視せず、ソ連をつぶさせる戦略が正解だったのではという事です。
日本をつぶしたことに関してもマッカーサーが敵を間違えたと言ったのは有名な話ですね。
連合国は敵を間違えたのです。