はじめの一言
「朝鮮時代(1392年から1910年)に、国を支配していた両班(ヤンバン)について」
朝鮮の災いのもとのひとつにこの両班つまり貴族という特権階級の存在がある。
両班は自分でなにも持たない。自分のキセルすらである。両班の学生は書斎から学校へ行くのに自分の本すら持たない。
伝統上、両班に求められるのは究極の無能さ加減である。「朝鮮紀行 講談社学術文庫 (イザベラ・バード)」
両班が住んでいた家
今回の内容
・日本(朝鮮出兵)、中国(丙子の役:丙子胡乱)、朝鮮の暴政のせい
・朝鮮人の高い能力や可能性
・日本(朝鮮出兵)、中国(丙子の役:丙子胡乱)、朝鮮の暴政のせい
前回の記事で、16世紀以後の韓国(朝鮮)の状態について韓国の歴史教科書(高校)のこんな記述を紹介した。
政府の財政事情も悪化し朝鮮後期には官営手工業を維持することさえ難しくなっていた。
(韓国の歴史 明石書店)
これを読んでこんなことを思った人はいませんか?
「16世紀から財政が悪化した?それって、あの人のせい?」
今も韓国人から嫌われている豊臣秀吉は、まさに16世紀の後半に朝鮮出兵をおこなっている。
その影響は確かにあると思う。
でも決してそれだけではない。
そのことは、韓国の高校生の歴史教科書にかいてある。
朝鮮王朝の統治秩序は、両乱を軽軽して大きく動揺していった。そのなかで農民は、暴政に耐えられず農村から離脱する現象が目立つようになった。これは支配体制の維持を難しくするものであった。
(韓国の歴史 明石書店)
この教科書は朝鮮政府による支配をむずかしくした原因として、次の3つをあげている。
2つの乱(両乱)と政府の暴政。
ここにある「両乱」というのは、日本の壬辰倭乱(朝鮮出兵)と中国の丙子胡乱 (へいしこらん)のこと。
「丙子胡乱」とは、朝鮮出兵の後に中国(清)が攻め込んできたこの出来事。
丙子の役(へいしのえき)は、1636年から1637年にかけて、清が朝鮮(李氏朝鮮)に侵入し、朝鮮を制圧した戦いの朝鮮での呼び名である。中国では丙子之役と呼ばれている。
(ウィキペディア)
ウィキペディアの「丙子の役」と韓国の歴史教科書の「丙子胡乱」は、同じできごとをさしている。
でも、「丙子胡乱」という表現には中国に対する悪意がある。
「敵対感が込められた呼称である(ウィキペディア)」ということから、日本のウィキペディアでは「丙子胡乱」という表現をつかっていない。
中国人に対する蔑視(べっし)があるから、日本ではこの言葉をつかうことはない。
朝鮮出兵は1598年に豊臣秀吉が亡くなったことで、日本軍が撤退して終わっている。
それからわずか38年後、朝鮮が国内を立て直しているときに、今度は中国(清)が攻めてきた。
こりゃたまらない。
清軍を撃退することができたら良かったけど、このときは戦いに負けて清軍によって朝鮮を制圧されてしまった。
このとき清は朝鮮にずい分ひどいことをしたようだ。
朝鮮の「丙子」という本には、このときの清国によるおこないをこのように書いてあるという。
武力に略奪が行われ、すべては焼き尽くされ、官も民もすっ裸の状態であり、秀吉の侵攻よりも甚だしいものがある
「日本の驕慢 韓国の傲慢 (徳間書店)」
この丙子の役(へいしのえき)について、韓国の歴史教科書(中学)にはこう書いてある。
大きな被害を受けた朝鮮は、政府も民衆も清に対する敵対感情と復讐心に燃えた
「韓国の中学生歴史教科書 (明石書店)」
現在の韓国では、中国の丙子の役(へいしのえき)より日本の朝鮮出兵の方を嫌悪している。
朝鮮出兵の方が被害の規模が大きいことは確か。
でも、果たしてそれだけか?
韓国の仏教寺
・朝鮮人の高い能力や可能性
16世紀以後、朝鮮の政府は財政難になってしまった。
この理由には、「朝鮮出兵」「丙子の役」「暴政(朝鮮政府の支配)」の3つがある。
でももっとも大きな原因は、朝鮮政府の暴政だろう。
朝鮮政府の政治のやり方がまずくて、民衆を苦しめていたこと。
このとき「両班」という人びとが朝鮮の民衆を支配していた。
両班がどんな人間かはこの記事の始めを見てほしい。
朝鮮の災いのもとのひとつにこの両班つまり貴族という特権階級の存在がある
(朝鮮紀行 講談社学術文庫)
19世紀末、朝鮮を旅したイギリス人(イザベラ・バード)は、この両班という支配者階級の人たちを憎んでいた。
彼らが人民を搾取(さくしゅ)する様子を見ていたから、義憤をおぼえたのだろう。
彼らも両班のひとつの「武官」。
朝鮮時代のセレモニーを再現している。
イギリス人に憎まれても仕方がないことを両班はしていた。
その暴政の具体的な内容はここではとても書ききれないから、「韓国の歴史(明石書店)」を読んでほしい。
代わりに、このイギリス人(イザベラ・バード)の紀行文にあるこんな言葉を紹介して記事を終えたい。
わたしは漢江流域の農業にきわめて快い驚きを覚えたのであり、勤勉に働いた分だけ確実に収入が得られるのなら、大変な発展をしうると信じて疑わない。
(朝鮮紀行 講談社学術文庫)
このイギリス人女性は実際に朝鮮を旅してみて、朝鮮人には高い能力や可能性があることを感じていた。
けれど、その能力を発揮させない朝鮮の政治のやり方(暴政)に強い怒りの目を向けている。
おまけ
朝鮮日報のTHAADについての記事( 2016/08/28)で、この記事に出てきた丙子の役(丙子胡乱)という言葉が使われていた。
THAADの配備をめぐり、中国の目を気にする動きが盛んに見られる。それが限度を超え、過剰な反応まで出てきているのは、記憶の中にある丙子胡乱のトラウマと無関係ではない。中国メディアが何か言えば、すぐにでも清の軍隊が攻め込んでくるかのような騒ぎになる。
朝鮮は十分な力もないまま中国と対峙(たいじ)し、悲惨な目に遭った。中国は武力と恐怖によって、国家としての自尊心を踏みにじった。当時の屈辱は韓国人の脳裏に刻み込まれ、民族的なトラウマになった。
THAAD配備反対派の間では「第2の丙子胡乱」という言葉まで出てきている。【コラム】THAAD韓国配備問題、「城外」の敵と「城内」の戦い
韓国人にとっては、今も消えない記憶なのだろう。
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