はじめの一言
「この国ではいたるところに芸術的な富が鏤(ちりばめ)められている。良い趣味と美的センスが国中に行きわたり、日ごとに美を生み出している。地方にいけば信じがたいほど民間伝承が生きている。(ロベール・ギラン 昭和)」
「日本絶賛語録 小学館」
今回の内容
・幕末の日本人が感じた「危機」
・幕末、明治にも発揮された「学習能力の高さ」
・奇跡の理由「徳川幕府より日本」
・幕末の日本人が感じた「危機」
欧米列強が近づいてきた幕末、日本人のもっていた危機感を作家の司馬遼太郎はこう書いている。
日本がヨーロッパに征服されて植民地にされるかもしれないという、この時代の共通した危機意識があった
「「明治」という国家 (NHKブックス) 司馬遼太郎」
また、リアルタイムでその時代を生きた福沢諭吉はこんな不安を感じていた。
自分は何とかして禍いを避けるとしても、行く末の永い子供は可愛そうだ、一命に掛けても外国人の奴隷にはしたくない
「福翁自伝 福沢諭吉」
福沢諭吉は、日本が植民地になることを「日本人が外国人の奴隷になる」と考えていた。
これは幕末・明治の日本人が共有していた危機感で、その後の日本の発展のエネルギーのもとにもなっている。
結果からいえばさいわいなことに、日本は西洋の植民地になることはなく、それどころか、アジアでは初となる近代国家になっている。
・幕末、明治にも発揮された「学習能力の高さ」
明治時代、日本にシドモアというアメリカ人の女性がいた。
彼女は、幕末から明治への日本の移り変わりを見て、旅行記にこう書いている。
政治的にも社会的にも、日本人は西洋世界を手本にし、その結果による王政復古は、今世紀最大の驚異的政治問題を提示しました。
古い秩序の突然の放棄、そして近代的秩序の出で立ちで武装する国民皆兵が、直面する危機解決の最も現実的永続的手段としてただちに導入された事は、少なくても欧州の間ではたいへんな驚きでした
「シドモア日本紀行 講談社学術文庫」
「古い秩序の突然の放棄」とは、徳川慶喜が政権を天皇に返した「大政奉還」のことをいっている。
中国人も同じような感想をもった。
黄遵憲(こう じゅんけん)という清(中国)の外交官は、中国と日本を比べて、3つの違いを挙げている。その中の1つが大政奉還とそれにともなう「王政復古」だ。
二、三の豪傑が、時に乗じて立ち上がり、幕府を覆し、王室を尊び、諸侯封建の権を上に返し、王政復古の功を成した。国の維新の治が、泉にめぐみ花が咲くように、勃然として復興し、これはまた奇なり
「文人外交官の明治日本 (柏書房) 張偉雄」
今の日本人には、明治維新は学校で習うあたり前のこと。
だけど、当時のヨーロッパ人や中国人にとっては、驚き以外の何ものでもない。
「今世紀最大の驚異的政治問題」はちょっと言い過ぎかもしれないけど。
「これはまた奇なり」ぐらいかな。
それはとにかく、日本の実情をよく知らない外国人にとっては、想像を超えるような出来事だったことは間違いない。
・奇跡の理由「徳川幕府より日本」
これも、「日本人が外国人の奴隷(植民地)になってしまう」といった危機意識が当時の多くの日本人の根底にあったからだろう。
そんな中で、司馬遼太郎が「奇蹟(きせき)的な存在」と呼んだ勝海舟が登場する。
勝海舟は偉大です。なにしろ、江戸末期に、
「日本国」
という、たれも持ったことのない、幕藩よりも一つレベルの高い国家思想ー当時としては夢のように抽象的なー概念を持っただけでも、勝は奇蹟的な存在でした。「「明治」という国家 (NHKブックス) 司馬遼太郎」
司馬遼太郎は、「‘日本国’に、一発の銃声もとどろかせることなく、座をゆずったしまった人なのです。」勝海舟に最大の称賛をおくっている。
これは、「大政奉還」と「江戸城の無血開城」をさしているのだろう。
当事者であった幕臣の勝海舟は、「幕府より国家が大事」としてこう言っている。
おれが政権を奉還して、江戸城を引き払うように主張したのは、いわゆる国家主義から割り出したものさ。三百年来の根底があるからといったところで、時勢が許さなかったらどうなるものか。
かつまた都府(首都)というものは、天下の共有物であって、けっして一個人の私有物ではない。
江戸城引き払いのことについては、おれにこの論拠があるものだから、だれがなんといったって少しもかまわなかったさ
(氷川清話 (角川ソフィア文庫))
「首都(江戸)は、天下の共有物」という意識は、その時代の中国にはなかっただろう。
中国(清)という国は皇帝の「私物」であり、そのすべては皇帝のものだった。
清末には西太后の「国の私物化」の意識が、変法運動(変法自強運動)という中国の改革運動を失敗させている。
これが成功していたら、中国での「明治維新」になっていたと思う。
国が「天下の共有物」という意識は、最近ではリビアのカダフィ大佐も持っていなかったように感じる。
国や国民を「私物化」していて、自分の政治権力を失いたくないばかりに抵抗を続けて、最後は民衆に殺された。
あの映像を見たとき、絶対に権力を手放そうとしないで、最後は銃殺されたルーマニアのチャウシェスク大統領を思い出した。
権力者が、自分の政治的権力を自ら手放すことなんて、まず考えられない。
シドモアが言った「古い秩序の突然の放棄(大政奉還と江戸城無血開城)」は、世界から見たら本当に「奇跡」のような出来事。
でも、明治には「別の奇跡」があらわれる。
それは、次回に。
おまけ
徳川慶喜が大政奉還をした1867年、幕府は日本で初めてとなるパリ万博に参加している。よくそんな余裕あったもんだ。
日本、世界にデビュー!江戸のパリ万博参加・ジャポニズムとその後 ④
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