中国(長安)よ、これが「最強の遣唐使」空海だ!①at 西安旅行

 

はじめの一言

「海外で教育訓練された日本の青年が、外国の教師や監督に代わって指導するため母国へ帰っています。都市ごとに政府省庁や公共事業のお雇い外人の必要性は減少しています。今や‘日本人のための日本’は当たり前のスローガンです。
(シドモア 明治時代)」

「シドモア日本紀行 講談社学術文庫」

 

 

はじめに中国の古都・洛陽の様子を見てください。

 

今回の内容

・中国への航海について
・これが、空海だ!!

 

この前、遣唐使のことを書いた。
今回は、遣唐使で最も有名な「空海」について、西安旅行の写真をまじえて書いていきたい。

 

・中国への航海について

今でも、飛行機に乗ることが怖いという人はたくさんいる。

でも、奈良・平安時代に船に乗って中国に行くことよりは、はるかにまし。
当たり前だけどね!
安全な船をつくる造船技術がなく、航海の技術もまだまだだったこの時代は、「神まかせ」だったらしい。

たれもが、船の安全を信じていなかった。
安全のためには神仏への祈祷以外に方法がなかった。
ほかに、船を人格化して、名前と位階をあたえた。名前は、速鳥とか佐伯とないったふうに付けられ、位階は従五位下をあたえられた。

(空海の風景 司馬遼太郎)

「位階(いかい)」とは、日本の朝廷での身分で、ウィキペディアを参考に見ると、「従五位」は、「貴族」になるらしい。
中国に渡る船に貴族の身分にするというのも、今から考えたらおかしい話だ。
けど、当時の日本人は大真面目でやっていたはず。

 

中国への航海は文字どおり、命がけのことで恐怖と不安で押しつぶされそうだったはず。
遣唐船を従五位の貴族にしたということで、人間の貴族がかぶるものと同じ冠をその遣唐船に用意していたという。

 

唐三彩(とうさんさい)

 

でも、遭難するときは、遭難してしまう。
空海(くうかい)を乗せた遣唐使船でさえも、遭難してしまって、中国の福州のあたり漂着している。

空海(774年~835年)

平安時代初期の僧。
弘法大師(こうぼうだいし)の諡号(921年、醍醐天皇による)で知られる真言宗の開祖である。

(ウィキペディア)

 

ちなみに平安時代の仏教僧は、現代の日本人が考える僧とはまったく違う。

僧そのものの存在が呪術性があると思われていたこの時代、国家は僧を国費で養うことによって国土を見舞う災害や王家のひとびとの老病苦死をできるだけ軽いものにしようとした

(空海の風景 司馬遼太郎)

呪術をもって、洪水や地震などの自然災害を防いだり、天皇や貴族の病気を治療したりするような役割を期待されていた。

 

「日本語」を入れることで、高品質の「日本製」に見せているという。
「だまされて買う人は、けっこういますよ」
中国人ガイド談。

 

船は遭難して、予定にはなかった福州に着いてしまった。
でも、日本史に名を残す天才・空海は、中国でも並みの人間ではなかった。

「(空海の風景 司馬遼太郎)空海が、唐の大官をおどろかすほどの文章力をもってい」たから、その文章を読んだ福州の長官を「この人は、ただ者ではない!」と驚かせる。

 

福州の知識人の集まりに呼ばれたときの空海の様子は、こんな感じだったらしい。

ひとたび空海が一詩を造るごとに息を忘れるようにして歎賞した。
「長安でも、これだけの詩人は居まい」
と、飛びきりの賛辞を与えた者もいたであろう。

(空海の風景 司馬遼太郎)

そこから、いろいろな中国人の協力をえて、唐の都長安まで行くことができた。
文明の中心地である長安に着いてからすぐに、人々は空海の才能に気づいたらしい。

空海は文に長じ、詩はこれに次いでいる。それでもなお、その詩は長安人士の驚きをさそうものがあったらしく、進んで交わりを求めにくる者が相次ぎ、

(空海の風景 司馬遼太郎)

詩をかくといっても、空海は日本人で、あくまで外国語で詩を書いていたはず。
それでも、本場中国の知識人を魅了してるのが、すごい。

 

西安(長安)にあるイスラーム教徒の礼拝所

 

でも、空海は詩人ではなくて、仏教僧。
仏教について学びに長安に来たけれど、すでに日本でかなり学んでいたらしい。

さらに彼の仏教あるいは密教についての造詣が西明寺の僧たちを驚かせた

(空海の風景 司馬遼太郎)

長安での空海師は、恵果(えか)という中国人の仏教僧になる。
この僧がすごいのは、仏教の二つの難しい教え(金剛頂経系と大日経系)を身につけた世界でただ一人のお坊さんだったこと。

その恵果が空海に会ったときの印象は、衝撃的なものだった。
両部とは「金剛頂経系と大日経系」のこと。

恵果の空海に対する厚遇は、異常というほかない。
空海をひと目みただけで、この若者にのみ両部をゆずることができると判断し、事実、大いそぎでそのことごとくを譲ってしまったのである。

(空海の風景 司馬遼太郎)

空海は、中国にわたる前、仏教は「独学」で、一人で学んだらしい。
この天才っぷりは、言葉にならない。

次回、空海の才能を、もっと紹介します。

 

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。