セルビア人のムラディッチが国連の法廷で終身刑を言い渡された瞬間、多くの人たちが両手を広げ喜びを爆発させた。彼こそが、戦後のヨーロッパで最悪と言われる「スレブレニツァ虐殺」の責任者で、犠牲者の遺族はムラディッチに深い憎悪を抱いていた。
詳細はAFPの記事(2017年11月23日)を見てほしい。
2003年まで、ヨーロッパにはユーゴスラヴィアという多様性の洪水のような国があり、よくこう表現された。
「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、1つの国家」
ユーゴスラヴィアは世界的に見ても多民族・多文化国家で、くわしく見るとこうなる。
7つの国境:イタリア、オーストリア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、ギリシャ、アルバニア
6つの共和国:スロベニア、セルビア、モンテネグロ、マケドニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ
5つの民族:セルビア人、クロアチア人、スロベニア人、モンテネグロ人、マケドニア人
4つの言語:セルビア語、クロアチア語、スロベニア語、マケドニア語
3つの宗教:カトリック、東方正教、イスラム教
2つの文字:ラテン文字とキリル文字
これらすべて合わせると、ユーゴスラヴィアという1つの国家が完成する。
ティトーという超人的なカリスマをもった大統領がいたころは、ユーゴスラヴィアは何とか1つの国としてまとまっていた。
ティトー
1945年に東欧初の人民共和国を建設した。
複雑な民族問題を抱えるユーゴスラヴィアで、スターリン支配を拒否し、労働者の自主管理と地方分権を特徴とする、独自の社会主義建設を指導した。「世界史用語集 (山川出版)」

ティトー(ウィキペディアから)
見た目、かなり怖い。
この人なら、いろいろな集団をまとめられそう。
「宗教・民族・文化の違いがあっても、みんな同じ人間。地球市民どうし、違いを超えて仲良くやればいい」と思うのだけど、現実にはそうもいかない。
1992年から1995年まで、ユーゴスラヴィアから独立したボスニア・ヘルツェゴビナで内戦がおこなわれていた。
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争がおこなわれていた1995年の7月、ボスニア東部の町スレブレニツァで、セルビア人が約8000人のムスリム(イスラーム教徒)を殺害した。
この「スレブレニツァ虐殺」は第2次世界大戦後、ヨーロッパで発生した最悪の大量殺人と言われている。
女性の場合はセルビア人戦闘員から性暴行をうけ、いわば魂を殺された後で命を奪われたという。
ソース:AFPの記事(2015年7月21日)
「民族浄化」という言葉は、この時代のユーゴスラヴィア内戦で生まれたとされる。
このスレブレニツァ虐殺をおこなった責任者として、セルビア人のムラジッチが国連で裁かれ、終身刑が言い渡されたから、遺族たちは涙を流し、抱き合って喜びを爆発させた。ある遺族は「神よ、感謝します!」と言った。

多様性において、ユーゴスラヴィアと日本は正反対だ。
「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、1つの国家」というユーゴスラヴィアに対し、島国の日本では国民の約97%が日本人で無宗教が多く、みんな日本語を使っていて、同質性がすごく高い。
多文化共生にはさまざまな文化や価値観に触れられるメリットがあるが、分裂や対立を生むやすいという欠点もある。
スレブレニツァ虐殺は多様性がうんだ悪夢の1つだ。
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