前回、「オレオ」について書いた。
お菓子ではなくて、「オレオ」とよばれる黒人がいること。
白人になりたがるような黒人を、「オレオ」と言う。
ネットの英語辞典「英辞郎ウェブ」にはこう書いてある。
Oreo
【名】〈俗〉黒人でも考え方や振る舞いは白人的な人
◆主にアメリカで黒人でも振る舞いや考え方は白人のような人を蔑視した言い方。
以前、アメリカ大好きの”外国かぶれ”した日本人女性に会った。
「できれば、日本じゃなくて、カルフォルニアに生まれたかったなあ」と言うほどのかぶれっぷり。
そんな話を友人のアメリカ人にしたところ、「白人になりたい黒人もいるんだよ」と彼がオレオの話をする。
「今の自分を否定して別の人間になりたい、と言う人間はどこにでもいるよ」
そんなことを言う。
「外国かぶれの日本人」というのは昔からいる。
16世紀には、中国や朝鮮にあこがれる日本人がいた。
儒学を学ぶ人間にとって、中国や儒学の先進国だった朝鮮はまさに理想の地だった。
儒学
孔子に始まる思想体系を奉ずる学問。武帝のとき董仲舒の建言により官学とされて以降、中国の皇帝制度を支える政治思想となった。
「世界史用語集 (山川出版)」
16世紀の日本を代表する儒学者「藤原惺窩(ふじわらせいか)」も、中国や朝鮮にかぶれた1人だ。
藤原惺窩(ウィキペディア)
ふじわらせいか【藤原惺窩】
(1561~1619) 江戸初期の儒学者。播磨の人。名は粛、字あざなは斂夫。初め相国寺の僧。のち朱子学を究めて、京学派をおこした。徳川家康に重んぜられ、門人に林羅山らがいる。仏教・老荘との融和を心がけた。
「大辞林 第三版の解説」
藤原惺窩は家名の「冷泉」を名のらず、中国式に「籐(とう)」と言っていた。
16世紀、藤原惺窩が姜沆(きょうこう)という朝鮮人と出会う。
姜沆は、豊臣秀吉の朝鮮出兵で日本に連れて来られた朝鮮人の儒学者。
彼は約3年間、日本にいた。
「この頃に藤原惺窩と交流し彼の朱子学の体系化に大きな感化を与えたとされる(ウィキペディア)」という。
姜沆は日本で見聞きしたことを「看羊録」という書にまとめた。
看羊録には朝鮮人が見た16世紀の日本の様子がえがかれている。
この中で藤原惺窩が姜沆(きょうこう)にこう言う。
実に残念です。私が、大唐に生まれることができず、また、生を朝鮮に得ることができないで、日本のこのような時代に生まれ合わせたとは!
「看羊録 朝鮮儒者の日本抑留記 (平凡社東洋文庫)」
「日本じゃなくて、カルフォルニアに生まれたかったなあ」と言った外国かぶれの”原点”がここにある。
「日本じゃなくて、中国か朝鮮に生まれたかった!」となげいた藤原惺窩は、姜沆にこんなことも言っている。
「明と朝鮮の連合軍で日本を占領して欲しい」
外国かぶれではなくて、”国賊”というレベルだ。
また、藤原惺窩と同じ時代に、「赤松広通(あかまつ ひろみち)」という武将がいた。
赤松は「日本のマチュピチュ」で知られる竹田城の城主でもあった。
赤松広通
関ケ原の戦いではじめ石田方に味方し,のち徳川方につくがゆるされず,家康の命により慶長5年10月28日自害した。39歳。
「デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説」
この赤松広通も、かなりの中国・朝鮮かぶれだった。
唐の制度や朝鮮の礼を篤く好み、衣服や飲食などの些細なところまで、必ず唐と朝鮮に見習おうとします。日本にいるのではありますが、日本人ではない〔と思えるほどな〕のです
「看羊録 朝鮮儒者の日本抑留記 (平凡社東洋文庫)」
今の自分が気に入らず、別の人物になりたがる「オレオ」のような人間は、いつの時代にもどこの場所にもいる。
でも、青い鳥はいつも一番近くにいる。
青い鳥
2人兄妹のチルチルとミチルが、夢の中で過去や未来の国に幸福の象徴である青い鳥を探しに行くが、結局のところそれは自分達に最も手近なところにある、鳥籠の中にあったという物語。
「ウィキペディア」
海外旅行でいろいろな国に行ってよく思うけど、日本に生まれるというのは、当たりくじを引いたようなものだ。
おまけ
中国の黄山
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