大河ドラマ『麒麟がくる』の初回視聴率は19.1%とかなり高い。
ならば乗るしかない、このビッグウェーブに。
ということで今回はコバンザメ的発想で戦国時代末期の話ですよ。
戦国時代は1467年の応仁の乱のころから約100年の間つづいた動乱の時代で、終わりは1568年に織田信長が京都に入ったときとか、1590年に豊臣秀吉が天下統一を果たしたときとか諸説ある。
まあ細かいことはマニアにまかせて、全国の戦国大名が戦いまくっていたわけだ。
ちなみにこの言葉は、紀元前の中国であった動乱の時代「戦国時代」に由来する。
日本でもこの言葉が当てはめられた。
では、ここで歴史クイズ。
この時代にヨーロッパ人が初めて日本へやって来た。
このときヨーロッパ人が日本にもたらしたものは何でしょう?

ヨーロッパ人が日本に伝えたものごとはいろいろあるけど、とりあえずは「神・悪魔・鉄砲・性病・タバコ・奴隷・植民地化」を知っておこう。
で、この中で重要なのが鉄砲だ。

弓、槍、刀といった武器にこの新兵器が加わったことで、戦国時代の日本人の戦い方が革命的に変わった。
その象徴が1575年の長篠の戦いで、織田信長が鉄砲隊を組織して武田勝頼の騎馬隊を撃破する。
これがなかったら戦国時代はもっとつづいたはずで、鉄砲のもつ力が平和を近づけたも言える。
くわしいことはここをクリック。
日本への鉄砲伝来は東アジアにおける火器普及の第二の波の時期に相当し、海域アジアでは戦乱が激化する一方で、例えば豊臣秀吉が朝鮮出兵するなど、大陸アジアへの侵攻を可能とするほどの軍事力を持つことになった。
では、戦国時代において鉄砲は具体的にどれぐらいの威力があったのか?効果的だったのか?
評論家の山本七平氏が1580年代の記録を調べたところ、合戦での戦死・負傷者のほとんどが槍や刀ではなくて銃によるものだとわかった。
このころの記録を見ると、合戦の戦死傷者のほぼ全員近くが鉄砲による者で、(中略)簡単にいえば二百名の戦死傷者のうち、槍による者は十名、刀による者は一名の割合である。戦勝を決定するのは刀槍を振るう勇気よりも鉄砲の数と射撃の技倆になって来た。
「日本人とは何か。 (山本 七平) PHP文庫」
本能寺の変が1582年だから、これはちょうどそのころだ。
200人のうち189人が銃によって倒される時代になったのだから、これは間違いなく戦国時代の終わりをぐっと近づけた。
それにしても、刀による犠牲者が200人のうち1人だけというのは意外な気がするけど、くわしいことは「麒麟がくる」で確認しよう。
でもドラマや映画はチャンバラ重視だから無理かな。
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いやいや、鉄砲に比べて、槍刀による死傷者が極めて少ないのは、当然でしょう。人間誰しも接近戦での勝負よりは、飛び道具で相手を倒せるならばそちらを選択するに決まってます。兵士は「格闘家」じゃないんだから。むしろ、同じ飛び道具である「弓矢」が鉄砲の登場以降はほとんど使われなくなってしまったことが、鉄砲の急速な発達と殺傷力向上を物語ると言えます。
鉄砲について日本がアジアでも特異だったのは、ただ輸入するだけでなく、早々に国産化して普及、実戦投入した事ですね。
年代は少し下がりますが関ヶ原の戦いは当時世界最大の銃撃戦だったと言わるほどです。
それと、刀は実戦では護身や止めをさす為の物で、建物内などの狭い場所以外では、ほとんど使われなかったようです。
また、鉄砲以前の戦いでは死傷者のほとんどが弓矢や石礫のような飛び道具による物だったそうですね。
まあ、現実的に考えて、少ない損害で勝つために飛び道具を使うのは当然ですよね、夢もロマンもありませんが……。
そうですね。
新兵器の銃をすぐ作ってしまうというのが日本人で、朝鮮半島にも銃は伝わったのですが国産化しようとしませんでした。
それが豊臣秀吉の朝鮮出兵で朝鮮側がぼろ負けした原因につながりました。
でも戦国ドラマで銃の打ち合いは絵的につまらないから、刀の接近戦が多いんでしょうね。