日本人の発明「お子様ランチ」 その歴史と外国人の感想

知人のタイ人女性は国内最高峰の大学、いわば「タイの東大」であるチュラロンコン大学を卒業した後、日本へやって来て、静岡の大学で学ぶことになった。
そんな才女が「本当に残念です」となげいたのが、レストランでお子様ランチを食べられないこと。
今日は12月1日なので、この食べ物の歴史や外国人の感想について書いていこう。

 

目次

1930年代の世界

1930年の年の暮れ、12月1日に東京・日本橋の三越で、子供の好きそうなメニューを集めた「子供用定食」が発売された。
この明るい話題は、当時の暗い世相を反映している。
1929年10月、ニューヨークで株価が大暴落し、いわゆる「ブラック・サーズデー(暗黒の木曜日)」が起こった。その影響は国際社会に広がり、世界経済は氷河期をむかえた。

日本では昭和恐慌(1930年~1931年)という大不況が襲い、農村では家族全員が餓死することを避けるため、娘を売る家も出てきた。

 

「娘を売るときは相談してください」と役場が呼びかけている。

お子様ランチ爆誕

日本橋三越の食堂部は、そんな暗い世の中でも、子供たちに明るい気持ちを持ってもらいたいと考え、スパゲッティ、コロッケ、ハム、サンドイッチといった人気アイテムを1つのプレートにのせた子供用のメニューを開発し、「御子様洋食」という名前で提供した。
(一方で、農村では子供を売る親がいたから、当時の日本はとんでもない格差社会だったらしい。)
昭和初期の日本ではこれらの洋食は「レア」だったから、子供たちには宝の山のように見えたと思われる。
翌1931年には、上野松坂屋の大食堂が「お子様ランチ」の提供を開始。国旗やおまけをつけるなどの工夫を加えて人気を集め、この名称とスタイルが全国に広がり、現在ではレストランの定番メニューとなっている。

この日本人の発明は海外にも知られるようになり、ドイツ語版ウィキペディアには「Okosama Lunch」の項目が作られていて、そこには次のような説明がある。

「Auf den Gipfel des Pilaureis in Form eines Berges wird eine Flagge gesteckt.」

「山の形をしたピラフの上に旗が立てられています」といった意味。
これは富士山をイメージしたもので、登山家が頂上に着くと記念に国旗を立てることにちなんでいる。

 

外国人の感想

冒頭のタイ人女性から見ると、新幹線や電車、アンパンマンなど、お子様ランチのプレートがまずかわいかった。それに、ハンバーグ、フライドポテト、唐揚げ、チキンライス、オムライスなどもとても魅力的だったから、それが小学生までしか食べられないと知って、彼女は絶望的な気持ちになった。

海外では、子供用にマクドナルドのハッピーセットのような「キッズメニュー」がよくあるが、日本のお子様ランチほど凝っているものは少ない。

最後に、「お子様ランチ」に対する外国人の感想を日本語に訳して紹介しよう。

・多すぎないし、私にちょうどいい量だ。
・私が好きなものが全部入っている 😂
・日本では料理の盛り付けがいつも素敵だ。
・あのオムレツ、すごくおいしそうなんだけど。
・たまに「大人のお子様ランチ」を見かけます。
・日本の食べ物って、なんで全部おいしそうなんだろ 😩
・私が住んでる場所の近くにも、こんなものを売ってるお店があったらいいのに。うらやましい。
・アメリカでも買える?
・うーん…たぶん無理。

 

 

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この記事を書いた人

今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。
また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。

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