【アジア主義】結局、実現しなかった“日中韓”の連携

11月28日は1924(大正13)年に、孫文が神戸で「大アジア主義演説」をおこなった日。ということで、今回のテーマは、結局実現しなかったアジア主義だ。

目次

アジア主義のはじまり

明治の思想家で英語の達人だった岡倉天心は、1903年に外国人向けに『The Ideals of the East(東洋の理想)』を書いた。その本は「Asia is one(アジアは一つ)」という言葉からはじまっている。
天心の中ではアジアは文化的に一つにまとまっていたが、現実世界はまったく違っていた。

アジア主義とは「欧米列強のアジア侵略に対して、アジアの団結を図ろうとする主張」(世界大百科事典)を指す。
19世紀、フランス、ドイツ、イギリスなど西洋の国々がアフリカや中東などを植民地にしながら、アジアに迫ってきた。どの国も独立を維持したいと考えていたので、西洋諸国の脅威に対し、アジア諸国がまとまって対抗しようとする発想が出てくるのは自然だ。

日本で「アジア主義」は、19世紀後半に生まれたとする見方が一般的で、日本語版ウィキペディアにもそう書いてある。しかし、英語版ウィキペディアには、

「The concept of a unified Asia under Japanese leadership had its roots dating back to the 16th century.」(Pan-Asianism
(日本が主導して、アジアをまとめようとする発想の起源は16世紀にさかのぼる。)

と書いてあるから驚いた。16世紀の末期、豊臣秀吉は中国・朝鮮・日本を「一つ」に統合することを提唱し、それがアジア主義の「ルーツ」になったという。

日本の資料でこんな説を見たことはない。むしろ秀吉が朝鮮出兵をおこなったことで、朝鮮と中国(明)との絆は強まったが、日本とは埋められないほど深い溝が生まれ、アジアは分断された。
海外には意外な見方がある。

西洋の侵略に対するアジア主義

明治時代、西洋の侵略主義が身近に迫ったことを感じ、福沢諭吉はアジア諸国(主に日本・朝鮮・中国の3か国)が同盟を結び、共通の危機に対抗する「アジアの連帯」を考えた。
しかし、その前提条件が整わなかった。
日本は江戸幕府という封建制度の「ラスボス」を倒した後、明治政府が憲法を制定して議会で政治をおこない、アジア初の近代国家として生まれ変わったが、中国や朝鮮は国際情勢を正しく把握できず、国内改革を成功させることができなかった。
時代遅れの封建的、儒教的な価値観から抜け出せない両国に失望した福沢は「脱亜論」を唱え、

「われは心においてアジア東方の悪友を謝絶するものなり」

と、中国・朝鮮に絶縁を宣言した。

と絶縁宣言をした。
実際、日本は西洋列強に近づき、日清日露戦争の勝利によって国際社会にその実力を認めさせた。第一次世界大戦の後、日本はアメリカ、イギリス、フランス、ドイツと並ぶ「五大国」の一員となり、完全に西洋サイドについた。

世界の「五大国」の一角を占めたころ、日本はアジアを対等なパートナーと認識していなかった。孫文はそんな空気を感じ、「大アジア主義演説」をおこなったのだろう。
彼はこの演説で、国力を高める日本を賞賛する一方で、軍事力を背景に他国を圧迫し、西洋と同じ「覇道」の道へ進むことを警告した——。

大アジア主義演説は一般的にそう理解されているが、違う見方もある。孫文は日本の支援を期待していたが、思っていたほどの協力が得られなかったため、日本へ嫌味を言ったと指摘する人もいる。
どちらにしても、孫文が自分の利益のために、日本の力を利用したいと考えていたことは間違いない。

 

1943年、日本が主催して東京で大東亜会議が開かれ、ビルマ、満洲国、中華民国、タイ王国、フィリピン、インドの代表が集まった。

大東亜共栄圏というアジア主義

その後も、アジアが一つになることはなかったが、太平洋戦争の際、日本でその機運が高まった。
日本はみずからを盟主とし、アジア諸国が連携して西洋諸国に対抗する「大東亜共栄圏」の建設を唱え、「アジア解放」と称して東南アジアへ攻め込んだ。敵はアジアを支配していたオランダ、イギリス、アメリカなどで、日本はそれらの国と戦い、アジアを「解放」しようとした。
しかし、これは独りよがりの主張で、実際にはアジアの地は戦場となり、多くの犠牲が発生し、日本は現地の人々から恨まれることとなる。ただし、結果的に見れば、日本の戦いがアジアの独立を促したと言うことはできる。
最終的には2発の原子爆弾で日本は降伏し、「共栄圏」の夢も失敗に終わる。

そして現在

現在、ヨーロッパは「EU」として一つになった。東南アジアも、インドネシア、カンボジア、シンガポールなど10か国が連携して「ASEAN」を形成した。
しかし、日本・中国・韓国の東アジアはまとまる気配はない。自国が発展するためには、協力体制を構築することが理想的という意味では利害は一致しているが、「共通の価値観」がない。
現在の東アジアを見てみると、日中関係はこれ以上ないほど冷え切っていて、韓国でも反中国感情が高まり、「反中デモ」が頻発している。日中韓の関係は16世紀より悪化しているようだ。
孫文は「革命いまだ成らず」と言い残して亡くなった。東アジアの団結も同じだ。

 

 

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この記事を書いた人

今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。
また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。

コメント

コメント一覧 (2件)

  • 韓日中は現状では和合できません。
    中国は韓日とは違う政治理念(共産主義)を持つ国なので、一つに統合することができず、韓日は互いに積もった誤解があまりにも大きいです。現在、韓国の政界はほとんど中国に蚕食されている状態だとみられます。ただ、自由右派市民や20代の若者が中国の影響を感じて猛反発している状態です。
    メディアが中国資本に食い込まれたことが最も問題です。事実上、ほぼすべてのメディアが中国に友好的です。危機の韓国です。

  • 日中韓は三国志のような状態です。隣国と関係が悪いことはよくありますが、三国で険悪なのは珍しいです。東アジアだけかもしれません。

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