日本軍が戦争に負けたわけ 「軍神」と持ち上げる精神主義

 

乙女の嗜(たしな)みであり、戦車を使った武道、それが戦車道。
世界中の女子高生たちが戦車道で頂点を極めるアニメ『ガールズ&パンツァー』では、大洗女子学園の「西住みほ」が主人公として、「軍神」と称されるほどの活躍を見せる。
彼女は熊本出身で、趣味はぬいぐるみ集めだ。

 

 

「西住みほ」は架空のキャラで、この世に存在しないが、元ネタとなった人物はいる。
それが大日本帝国陸軍の軍人、西住 小次郎(にしずみ こじろう)で、彼は日中戦争中の1938年(昭和13年)のきょう5月17日、この世を去った。R.I.P.
西住みほが熊本出身という設定は、こっちの西住が熊本県で生まれたことにちなんでいる。
西住小次郎は日本軍で初めて公式の「軍神」に指定された人物として有名で、西住みほの異名はこれを受け継いでいる。

戦車小隊長として中国へ渡った西住は、30回以上の戦闘に参加し活躍した。
そして、1938年のこの日、前方にクリーク(川)があることを見つけ、戦車で通ることのできる場所を探し、それを確認した後、対岸の中国兵に狙撃された。
大量の血が流れとともに意識が薄れていく中、西住はクリークの移動ルートを伝えてから力尽きる。

死後、西住の上官が、彼の軍人精神を全国民に知らしめることは国益にかなうと主張すると、新聞やラジオがそれに同調し、西住のことを一斉に報道し、軍神と称賛した。
そして、軍部によって初めて公式に「軍神」として指定された西住は、「軍神西住戦車長」といったキャッチフレーズで広く国民に知られる存在となる。

 

西住と彼が乗った戦車(装甲車?)を紹介する雑誌記事
彼は千発以上の銃弾を浴びながらも、敵陣に突入したという。
「西住大尉の武勲をとどめる生々しい弾痕を見よ!!」と書いてある。

 

太平洋戦争では西住小次郎のような軍神が何人も登場したが、結局はアメリカに敗れた。
西住の犠牲は尊く、彼にケチをつけるつもりはまったくない。しかし、日本軍が彼を軍神として持ち上げ、死を恐れない精神力を過度に強調したことが敗因の一つにあった。

当時、陸軍は射撃をしながら敵に近づき、最後は銃剣や軍刀による近接戦闘、つまり刀による白兵戦で決着をつけることを理想としていた。
陸軍は白兵銃剣主義、そして海軍は艦隊決戦主義を強調し、そんな考え方を体現した者を「軍神」とたたえた。
その「頂点」にいたのは日露戦争における陸の英雄である乃木希典と、海の英雄である東郷平八郎だった。

帝国陸海軍の突貫主義や大艦巨砲主義の価値を最も典型的に具現した英雄は、乃木希典や東郷平八郎であったが、大東亜戦争の諸戦闘に従事し注目を浴びた将兵も、すでに述べたように、いずれもなんらかの形でこれらの価値を体現した人人であった。

「失敗の本質 (ダイヤモンド社. Kindle 版) 戸部 良一; 寺本 義也; 鎌田 伸一; 杉之尾 孝生; 村井 友秀; 野中 郁次郎」

 

西住は太平洋戦争の時代の人間ではなかったが、この突貫主義(白兵銃剣主義)に連なっている。
しかし、この考え方はすでに時代遅れになっていた。
日本陸軍が理想的な(都合のよい)軍神を作り上げ、「全軍突撃〜!」という突貫主義を重視したことが、装備や火力を軽視することにつながった。
「戦機まさに熟せり」、「決死任務を遂行し」、「神明の加護」、「能否を超越し国運を賭して断行すべし」といった勇ましいことを繰り返し言って、精神力を高めたところで米軍に勝てるはずがない。
それがすべてではないが、日本がアメリカに負けた重要な要因として、「〜主義」といった時代遅れの空論を過度に強調したことがある。

 

 

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4 件のコメント

  • 旧日本軍に関しては、様々な研究者などが、「実際は精神主義ではなく火力主義だった」というのが近年の定説となっております

    主に第2次世界大戦の軍事関係を取り扱う潮書房光人新社NF文庫等の特に旧陸軍関係を扱う書籍等にはほぼすべてに従来の
    『勘違い』の指摘を出しており、決して火力を軽視して精神力を持ち上げた事実はないと指摘が行われています
    そこまで行かなくても旧陸軍にフォーカスを当てた新書等でも最近はこの指摘を行っている場合が多いです
    ではなぜ、精神主義と勘違いされたのかといいますと、おおざっぱに4つの理由があったりします

    1.大砲や機関銃はあっても砲弾・弾丸がない(正式には安定した質の火薬を大量生産する工場がない、工場建設費用がない)
    2.お金持ちな米軍の方が圧倒的に大砲でも爆弾でも数が上回っていた
    3.銃剣突撃をはじめとする白兵主義は実は当時の世界では当たり前だった。そこの上二つの理由が重なり、銃剣しかない場面が多々発生した
    4.うえ3つとは別に士気高揚や国内プロパガンダ目的で勇敢な将兵たちという持ち上げを行って行き過ぎた

    実のところ、これらの理由は日露戦争の真っ最中から、軍部では問題視されていましたが、予算の問題はどうあがいても解決できず
    ごまかしもかねて『大和魂を持った日本兵たちの獅子奮迅の働き』を報道の場などに提示するということを行っており
    むしろ、正しい知識や実像を国民が知らない、把握できないことが旧軍が負けた最大の理由というのが精神主義云々の結論ではないでしょうか

  • 特に日露戦争以降、国家総力戦の割りには辛勝で得るものは少なく、日本国内が疲弊して政情不安定になったとか、国際連盟脱退で国際的に孤立した流れとかは押さえていた方が無難ですね。
    あと陸軍軍事政権の横暴振りばかり強調されますが、新聞に扇動された日本国民も大多数が支持し、米と対話すべきという人まで非国民扱いで迫害した歴史も。

    戦後日本政府が国際協調や支援を殊更重視するのも、戦前に自国の意向を堅持し過ぎて孤立した反省からでしょう。

  • コメントありがとうございます。
    ソースによっていろいろな見方がありますが、朝日新聞は、資源や工業力の乏しかった日本が敗戦まで極端な精神主義を奉じ続けたと指摘しています(「国力の限界、すがり続けた精神主義 ツケは前線の兵士に)。この見方はいまも定説の一つとしてあります。
    ガダルカナル島の戦いなど、日本軍が米軍に白兵戦をしかけ、強力な火力で返り討ちにあった例は多くありますが、逆はどれほどあったか知りません。
    日本は資源や工業力で劣っていたので、長期戦になるど、砲弾・弾薬は不足してきます。
    もちろん、日本が負けた原因については諸説あります。

  • > 新聞に扇動された日本国民も大多数が支持し、米と対話すべきという人まで非国民扱いで迫害した
    > 朝日新聞は、資源や工業力の乏しかった日本が敗戦まで極端な精神主義を奉じ続けたと指摘

    ナチス・ドイツに比べれば、政党や政治家個人のリーダーシップが国全体に行渡っていなかった日本においては、国民の戦意を煽ってミスリードしたマスメディア(当時は主に新聞)の役割は大きかったんじゃないですかね。現代のメディアは、そのことにほとんど言及しませんけど。
    彼らは、そのことに責任を感じていないのかな?

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