第二次世界大戦のとき、日本が持てるすべての力と、最高の技術を駆使して建設したのが戦艦大和(やまと)。
世界最大となる46センチ砲を搭載した超弩級戦艦で、40キロ先の敵艦船を攻撃できたのは日本が誇る大和と武蔵だけ。
大和は「大艦巨砲主義」を象徴する空前絶後の巨大戦艦だ。
その大和が米軍の魚雷や爆弾を受けて、九州南西沖で沈んだのが1945年4月7日、つまり76年前のきょうだ。
大和に乗っていた3332名のうち、生存者は276名だけ。
三井造船で長年、船の設計に携わってきたスペシャリストの播田安弘さんは、当時の日本の造船技術は他国と比べても、目を見張るものがあったと「FLASH」の記事(4/7)で言う。
日本がすごかったのは大和だけではなかった。
意外にも、世界で初めて空母として設計されたのは、日本の『鳳翔』という船です。他にも、軽巡洋艦『夕張』は、小型でスピードが速く、強力な艦砲を積んでいたことから、発表当時は世界から大きな注目を浴びました。
【4月7日の話】戦艦大和が沈没…戦後の重工業の礎になった世界最大の巨艦
江戸から明治になってから、70年でこれだけの戦艦を造ったことは、日本の技術水準が高さを十分に示している。
ただ大和に付けられたレーダーの精度は低かったため、アメリカのようにレーダーと艦砲を連携させ、正確に敵を攻撃することはできなかった。
ということで、播田さんはこう語る。
「日本のものづくりすべてに言えることですが、ハード面は非常に強いけれど、ソフト面が弱かったということです」
これにネットの反応は?
・今やハードも負けてるよ
・何とかなってるのは、素材と工作機械と自動車くらいか。
・いくら技術が優秀でも上にバカが居て指令出してるから無駄
・ソフトに弱いんじゃなくて大局を見る目がないんだよ
・はいはい日本オワコン日本オワコン
戦艦大和の雄姿
先週、ベトナム人2人とタイ人と一緒に、浜松にあるエアーパーク(航空自衛隊浜松広報館)に行ってきた。
まえにインド人をここに連れて来たときには、インドでは軍の施設に民間人が入ることは禁止されているということで、戦闘機を間近で見て写真を撮れるのはかなり貴重だとよろこんでいた。
今回のベトナム人とタイ人の場合、母国で軍施設に入れるかどうかは知らないけど、こういうところは初めてで、戦闘機をバックに写真を撮ったりしてそれなりに楽しんでいた。
でこのあと彼らに感想をきいてみた。
3人とも戦闘機については「カッケー」ぐらいの感想しかなく、タイ人がしたのはこんな話。
「わたしは日本の経済成長に関心がありました。戦争で負けたのに、日本は奇跡のように発展したので、その理由を知りたいと思って大学で教授にきいたことがあります。そのとき教授が言ったのは、日本は戦時中に高性能の戦闘機をつくって、アメリカ軍を苦しめたということです。日本は当時から、世界的にも最高水準の技術力を持っていたのです」
彼が興味あったのは戦後の日本で、戦前・戦中の日本は対象外。
だから経済成長を不思議に思ったけど、日本はすでに高いものづくりの力があったと聞いて納得できた。
タイで日本というと高品質の家電製品や車などが知られていて、昔から高い技術力と信頼性のイメージがあった。
*しかし最近は韓国や中国に押され気味。
それは戦後の話で、戦時中から日本がすでに世界のトップ水準にあったことを彼は知らなかった。
太平洋戦争中、日本は連合国軍の最新鋭戦闘機と互角にわたりあった紫電改を開発・生産していた。
1951年に来日した米空軍の中佐に「どの米戦闘機も紫電改に勝てなかった」と言わせしめたすごい機体だ。
ベトナム人もアニメや寿司より、戦後日本の復興に興味があった。
それでそのワケを調べてみたら、高い技術力と異常なほどのハードワークがあったことが判明。
日本の高度経済成長の背景にはいろいろあるとしても、こんも2つは絶対に欠かせない。
彼も戦前・戦中の日本のことは知らなかったから、これは意外だったらしい。
人が起こすことには必然しかない。
結局このタイ人とベトナム人は日本の戦後だけしかみていなかったから、原因や理由がよくわからず、昭和の戦後成長をなにか奇跡のように思っただけだった。
船の設計のスペシャリスト・播田安弘さんは海の藻屑となったものの、戦艦大和が戦後の日本に遺したものは大きかったと話す。
造船には、鉄鋼、電気、エンジンなど、あらゆる工業の技術が必要になりますから、その国の産業の水準が現れます。大和の製造技術は、のちの重工業や機械工業にも影響を与えました。
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焼け野原となった日本が「奇跡的な発展を遂げたのは、大和の功績も非常に大きい」と播田さんは言う。
それとベトナム人がビックリするぐらいの労働だ。
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