【敗北の理由】太平洋戦争、日本軍にあった虚しい精兵主義

 

きょう12月8日と8月15日は、日本人として忘れられない日。
1941年12月8日、日本軍が真珠湾攻撃を行って太平洋戦争が始まり、二度の原爆投下を受けて力尽き、45年8月15日に米軍に降伏して戦争が終わった。
逆算すれば12月8日はオワリの始まりになる。

*超厳密にいえば真珠湾攻撃よりも先に、「マレー作戦」によって太平洋戦争は始まる。

太平洋戦争の始まりは真珠湾攻撃、は誤り? 実は先に陸軍が‥

奇襲攻撃から81年がすぎたいま、かつての敵は友となった。
(少年ジャンプ的にいうと、強敵と書いて「トモ」と読むような。)
きょうハワイで行われた式典で、バーネット米ハワイ方面海軍司令官は「米国と日本の人々との結びつきは良好な関係の模範だ」と強調する。

 

 

日本があの戦争に敗北した原因は米軍の物量や攻撃力の高さと別に、日本軍のなかにもあった。
フィリピンで日本軍と行動を共にして、米軍に降伏した後は捕虜収容所に入れられた小松真一氏が「虜人日記」(ちくま学芸文庫)にそのことを書いている。
日本兵はまともな武器も食糧もなく、米軍の攻撃を避けるためにフィリピンのジャングルの中をただ逃げ回っていた。
そんな兵士たちと一緒にいた小松氏は日本軍の敗因として、「精兵主義の軍隊に精兵がいなかった事」と「将兵の素質低下」を指摘。
満州事変と日中戦争、さらに太平洋戦争の緒戦で精兵の大部分は死んでしまったから、全体的に日本軍の将兵の素質は下がるしかない。
つまりこの2つはセットになっている。

精兵なんてほとんどいないにもかかわらず、軍の上層部は「日本軍は強い!精鋭ぞろいだ!」といった精兵主義を堅持して作戦を考え出す。
だから最低限の軍事訓練を終えただけの兵士にも、精兵レベルの仕事を要求する。ろくな武器も与えずに。
一般の日本人にサッカー日本代表レベルの能力を当てはめて、「精兵主義」でもってスペインやドイツと戦えば、「もう止めてあげて!」と叫びたくなるほどフルボッコにされるのは必然。
もう根本的な考え方が間違っている。
一方、米軍は「物量に物言わせ、未訓練兵でもできる作戦をやってきた」(虜人日記)と正確な現状把握に基づいて、現実的な作戦を立てていたのだから、「主義」や「精神」で勝てるわけない。

 

戦いが長引くにつれて精兵がいなくなり、米軍が日本本土へ進撃してくると、フツウの兵士でも敵に大ダメージを与えられるような攻撃をしないといけなくなる。
戦争の末期、そんな「窮鼠猫を嚙む」みたいな発想で登場したのが神風特攻隊。
戦闘機に大量の爆弾を積んで敵の艦船に突っ込み、機体を当てることができたら米軍に大打撃を与えることができる。
でも当然、パイロットは確実に死ぬ。
飛行経験の少ない若いパイロットでも、まっすぐ敵艦に向かっていくことはできる。
自分の命と引き換えにするこの自爆攻撃は、当時のアメリカ人には理解できないクレイジーな戦法で、恐怖に震えて精神をおかしくする兵士もでてきた。

でも、この攻撃を立案し、「特攻隊の生みの親」といわれた大西瀧治郎でも「作戦の外道」と表現したぐらいなのだから、日本軍にとってもこれは常識外れの”クレイジー”な作戦だったのだ。

世界語になった“カミカゼ” 日本軍が自爆攻撃を行った理由

 

そんなことがあってから約80年が過ぎて、日本とアメリカが「良好な関係の模範」になったいま、日本軍を責めても意味は無い。
精兵でもないのに、現実を無視した精神や主義を押し付けられて、犠牲になった多くの日本人に黙とうするのみ。

 

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。