西日本新聞でこんな記事を発見。
宮崎市職員1週間「禁酒令」 酒気帯び運転摘発受け
宮崎市の男性職員が飲み屋でビールや焼酎を飲んだ後、車を運転したら、酒気帯び運転の容疑で警察に捕まった。これを受けて宮崎市は全職員に対して、1週間の禁酒令を出す。
宮崎市の人事課長はこう話している。
「再発防止の覚悟を行動で示したい。忘年会の予約を取り消すことは求めないが、ソフトドリンクを飲むように指導する」
ちなみに、2012年に、福岡市も職員に対して1か月の”禁酒令”を出している。九州人はそんなに酒が好きなのか?
ネットを見ると、職員の酒気帯び運転&市の禁酒令というコラボに、あきれる人が続出している。
・忘年会が立て込むなこりゃ
・こんなもん誰が守るねんw
・ここまで縛らないとルール守れない大人って
・反省してまーーす
ってやつ?一週間とかアホやろ
・娯楽が何もない田舎で禁酒とか拷問だろ
でも、このニュースは大したことでもない。
今回は、アメリカの歴史に大きな影響を与えた禁酒令(禁酒法)について書いていこうと思う。
日本の高校生が習う禁酒令がこれで、世界の人が「禁酒法」と聞いて思い浮かべるのもこれだ。
禁酒法
アメリカ合衆国における酒類の製造・販売・運送を禁じた法律。
禁酒運動は宗教的な意味と、労働者の規律や生産効率向上を狙う経済的な意味を持つ。
1919年に憲法を修正して成立したが、酒の密造・密売の横行を招いたため、33年に廃止された。「世界史用語集 山川出版」
この禁酒法は約15年で廃止されている。
つまり、「アメリカ人に酒を飲むな」というのは不可能ということ。
上の説明には禁酒法が生まれた理由として、「宗教的な意味」と「経済的な意味」の2つをあげている。
この記事では経済的な意味のほうを取りあげる。
禁酒法を生んだ1920年代のアメリカ社会のキーワードは、「大量生産・大量消費」だ。
大量生産を象徴するものに、「組み立てライン方式」がある。
これは「自動車王」と呼ばれたフォードが始めた。
ベルトコンベアを導入し、流れ作業で自動車をどんどん生産することができた。
でも、フォードをはじめ、工場の経営者たちの頭を悩ませてる問題があった。
それは、「労働者がまともに仕事をしない!」ということ。
当時のアメリカの労働者には、労働意欲や規律というものがほとんどなかった。
遅刻欠勤は当たり前。
中には、仕事中にビーチに遊びに行ってしまう労働者もいたらしい。
それを助長させていたのが酒。
酒を飲むと労働者が仕事をしなかったり、仕事の能率が落ちてしまったりする。
経営者たちは困り果ててしまったが、労働者に酒を飲ませないようにするのはムリ。
ということで、「アメリカの社会から酒を無くせばいい!」という結論になり、工場の経営者たちは政治家に禁酒法を成立させるよう働きかけた。
そして彼らの願いどおり、禁酒法が成立する。
自動車王フォードのほかに、発明王のエジソンも「アメリカから酒をなくすべきだ」と考えていた。 そのために、彼は禁酒法の成立を支援する映画まで制作している。
禁酒法ができてから、アメリカ社会はどう変わったのか?
エジソンは手記にこう書いている。
かつては月曜になると社員の奥さんたちがやってきて、金曜にもらったばかりの給料を夫が全部飲んでしまったと私に泣きついたものだ。だが禁酒法のおかげで、みんなその悩みから解放されたのだ
「「NHK新・映像の世紀 第2集」
しかし、禁酒法はうまくいかなかった。
すでに酒の味を覚えていた人たちが、酒をあきらめることなんて不可能だ。
先ほど書いてあったように、これが「酒の密造・密売の横行」を招き、アメリカ社会はさらに混乱してしまう。
これでは、酒を禁止した意味がないから、結局、1933年に禁酒法は廃止された。
大麻を吸っているタイの少数民族
アメリカでは大麻が合法化されている州がある。
アメリカ人に大麻について話を聞くと、何人もの人が禁酒令を例にあげて大麻の合法化を支持していた。
「『いけないものだから禁止する』とやって、アメリカは大失敗したからね。大麻も禁止するんじゃなくて、政府がコントロールしたほうが、現実的にはうまくいくんだよ。それに大麻は酒ほど人間に有害でもないしね」
大麻の合法化と1920年代の禁酒令を重ねているアメリカ人はけっこういると思う。
「いけないものは禁止するか?コントロールするべきか?」というのは、現代的な問題だ。
1週間の禁酒で、”九州公務員”がコントロールできるかは未知数だけど。
日本の100円ショップにあった「大麻」。
アメリカ人がこれを見つけて驚いていた。
大麻の栽培
タイやミャンマーの博物館にこれがあった。
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